菊野克紀先生が来福された3月12日以降、15日、22日、29日と稽古会が行われましたが、参加される方々の熱心さが、かなり変わったような気がします。
これまで、どこか受動的だったものが、積極的になったというか。
もちろん、それが思い込みや勘違いを引き起こすことにも繋がるし、時には、我が出て、ぶつかることもあるのですが、それが長引かないのは、菊野先生の指導、誰ツヨメソッドが、オープンに検証可能なものだから。
パートナーとやってみたら、明確にできるできないが出て、アレッ?となったらオンラインのアーカイブを視聴。確かめることで修正ができて『そうか!なるほど!』と納得ができていく。今さらですが、昭和ではありえなかった令和の稽古だなぁ、と実感しています(笑)。
できるできない、ではなく…とはいえ“できた”ことへの信頼と自信は、やはり大きい。やればやるほど、頭での理解ではなく、体感覚でできるようになっていくと感性から塗り替えられていきます。
例えるなら、努力してプールに通って泳ぎを覚えるのではなく、生活の中に海や川があり、幼い時から水に親しみ、自然と泳ぎ、潜り、生きることに活かしているか、のごとく、変わっていくような。
体感覚悟。
私のつくった造語です。
体で感じる、から始まり
体感して覚えて
体感覚で悟り
いざという時には、ふわりと覚悟ができる。
力まず、武張らず、当たり前に。
その可能性を感じさせてくれる
この出会いと、仲間がいる今に心から感謝して
精進を重ねることといたします。
言葉の元となったのは『花の慶次』の秀吉謁見の場面。