幻の光 | 人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

ネットの海を漂う吟遊詩人になって
見知らぬあなたに愛を吟じよう


人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

監督 是枝裕和

原作 宮本輝

脚色 荻田芳久

出演 江角マキ子、浅野忠信、内藤剛、柄本明

1995年 日本


宮本輝の同名短編小説を映画化した、
『誰も知らない』『空気人形』の是枝裕和監督の処女作。

兵庫県の尼崎から、奥能登の海辺の町に
子連れで嫁いできた主人公のゆみ子。
彼女は7年前に、初めての子供が生まれて3ヶ月目に、
前の夫を鉄道自殺で亡くしていますが、
その理由が思い当たらず未だに悩んでいます。
映画は、喪に服したままのゆみ子の心の風景を、
厳しい自然にさらされた、能登の最北端にある寂れた漁村の
風景と重ね合わせて描かれます。
人間の背後に風景があるのではなく、
風景の一部として人間を融合させ、映像のみの力で
物語を構成した是枝監督の手法が見事で、
本作が言語の壁を越えて、国際的に評価された理由の
一因と言えるでしょう。

原作を読むと、唯一“幻の光”について、
言及されている箇所があって、次のように書かれています。

『人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ』

体力とか精神力とか、そんなうわべのものではない、
もっと奥にある大事な精を奪っていく病気にかかった人間の心には、
風とお日さんの混ざり具合で、突然光りはじめる海の一角は、
たとえようもなく美しいものに映るのかもしれない。
ひょっとしたらあんたも、あの夜レールの彼方に、
あれとよく似た光を見ていたのかもしれない。
もうそこだけ海ではない、この世のものではない優しい平穏な
一角のように思えて、ふらふらと歩み寄って行きそうになる。
荒れ狂う海の本性を一度でも見たことのある人は、
そのさざ波が、暗い冷たい深海の入り口であることに気付いて、
我に返るに違いありません。(原作の文章を簡略)
映画では、
『海に誘われると言うとった。親父、前は船に乗っとたんや。
ひとりで海の上におったら、沖の方にきれいな光が見えるんやて。
ちらちらちらちら光って、俺を誘うんじゃ言うとった。
…誰にでも、そういうことあるんとちゃうか」と台詞があるだけで、
原作に比べて、死と生の一瞬の境にある“幻の光”のイメージが
曖昧です。
これだけ映像表現に拘っているのに、
なぜ、肝心の“幻の光”を視覚化しなかったのか疑問に残りました。

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