適切な世界の適切ならざる私 文月悠光 | 人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

ネットの海を漂う吟遊詩人になって
見知らぬあなたに愛を吟じよう

飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら


失業中で暇を持て余していた今年の春に書いた詩を、

冷やかしで某雑誌の現代詩賞に投稿したら佳作入選した。
それが切っ掛けで詩の世界に足を踏み入れ、
必然的に、2年前に16歳の若さで『現代詩手帖賞』を
最年少受賞した文月悠光さんの存在を知ることになる。
本作は、彼女が14歳から17歳の期間に書いた学生生活の
周辺を綴った24篇の詩を収めた処女詩集で、
秘密の花園に分け入って、覗き見しているような
背徳な気分にさせられます。

現代詩は、写実的な私小説と対極をなす観念的な文体で、
読み手を選ぶ難くなさがありますが、邪念のフィルターを通さない
ストレートな文体で書かれた彼女の詩は写実的でわかりやすく、
『保健室、天井を眺めるためのお部屋。』(天井観察)
『放課後、音楽室へ忍び込み、ピアノのふたをそっと持ち上げた』(私は、なる)
『春、教科書の字が萌えている』(下校)
誰もが記憶している学校の風景をはっきりと思い起こさせてくれて、
心の空洞にさわやかな風を吹き込んでくれます。

『先生、健康な人間なんて存在するんでしょうか』(健康診断の日)
『生きる意味は、どこに落ちているんだろう』
『存在なんてものにこだわっていたら、落ちていくよ。』(天井観察)飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら
『誰もが、私は私だと決め付けるの』(私は、なる)
思春期の頃に訪れる心の闇に対して、
『彩る意味を見出せないこのからだ』(落下水)と、
白黒の世界に色を付けたいと願うひとりの少女が、
『詩を、生きる信号としたために、私は幾度となく
ことばに轢かれた』(横断歩道)と格闘する姿が
生々しく伝わってきますが、まったく陰湿さがない
のは、ことばに裏切られながらも、『ひとたび活字の海に身をまかせれば、水をふるわせ、踊る』(ロンド)
絶対的な自信が言葉の端々に見え隠れしているから
でしょう。
この詩集が初々しい透明感を保っているのは、
生に対して饒舌な割りに、性に対する詩が、「おとこ」
「花火」「黄身を抱く」の3篇くらいと少ないからです。
それも異性に対してと言うより、生命そのものにま超越しているので、ペニスに対する関心が芽生えた時に、
羽化した彼女の新たな一面を発見できるのでは
ないでしょうか。

詩を読み終え、幼女から妖女へと変身しようとする彼女の成長を
楽しみに思う反面、もう書かれる事のないひとりの少女の輝ける闇を思い、
一抹の寂しさを覚えているのも確かです。
暫し高校生でいる数ヶ月間は、その特権を生かして、
今の思いを出来る限り多くの詩に託して、
書き残してもらいたいと願わずにはいられません。

彼女は詩だけでなく、小説の世界でも頭角を現し、
近い将来芥川賞の候補に名を連ねる作家に成長するでしょう。
文月悠光。これからも追い続けたいと思える作家に、
久しぶりに出会えました。

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