ちゃんと言い訳すること、とても大事なことだと思います。

でも、一般的には良いことと思われないことが多いです。

 

多分、「言い訳」という言葉が、悪い印象を抱かせるのでしょう。

「失敗の背景についての考察と言語化」

とでも言い換えれば印象は良くなるかもしれませんね。


言語化はすごく大事な行為だと思います。

私が大好きだった「舟を編む」のドラマは、言語化の大切さを一貫して伝えようとしていました。

それを表す大好きなセリフ2選です。

「今、あなたの中に灯っているのは
あなたが言葉にしないと消えてしまう光である
あなたが言葉にしてくれたおかげで
あなただけに見えていた光が
みんなの灯台になった」
 

「言葉にしがたい複雑な胸の内を
それでも言葉にして伝える」
 


こんな文学的なステキな状況ではないですけど、言語化の効果を実感した出来事がありました。

タンスの肥やしとなっていた服を処分した時の話です。

その服は、引き出しにしまわれてる状態だととても素敵なのですが、身に着けると「何か違う」感じがして結局着ない。でもぱっと見は素敵なので捨てられない。


こんなのを数年続けてました。

そして、ある日、その「何か違う」を言語化できたのです。

「ああ、この服は肩の部分がこういう形だから私の体系に合わなくて、身に付けると袖とか胸の部分がひきつって見苦しくなるんだ。」

言語化して納得したとたん、何の躊躇もなくその服を処分することができました。
そして、言語化の効果をあざやかに実感したのでした。(何とも些細な出来事ですが😅)



こんなに大切なのに、私たちは往々にして言葉で伝えるのを良く思わなかったりします。


言い訳を嫌うところもそうですが、「空気を読む」ことがとても重視されたりします。色々な技術を習得する時も「体で覚えろ」とか「師匠の技を盗め」みたいに言ったりします。

まあ、言葉だけで学べる技術はないし、長い時間かけて感覚だけで会得するってスターウォーズのフォースの習得みたいでカッコイイ感じもします。

でも、やっぱり言葉の説明があればより分かりやすく効率的です。無駄に悶々と悩んだり苦しんだりする時間を減らすことができます。

だから、面倒だとか理屈っぽいとか言って敬遠せず、丁寧な言語化を自分にも他者にも求めてゆきたいです。
そのためには、他者の言い訳もちゃんと聞けるようになりたいです。

色々な感情が渦巻いて実行できないことの方が多いでしょうが、死ぬまでに一ミリでも前進したら良しとします。


何事もこれくらい寛容な心構えで臨めば、諦めずに続けられるような気がします。