先月、遠藤周作の「深い河」を読みました。(実際は読んでません。Amazonのオーディブルで聞きました。今すぐに読みたかったのと、一か月無料体験に惹かれて、初トライ。これが滅茶苦茶良かった。ちゃんとした声優さんが朗読してて、本当にうまい。プロってすごい!)

 

遠藤周作といえば「キリスト教の作家」だと私は乱暴にカテゴライズして、ずっと見向きもしませんでした。宗教嫌いな日本人(6割の人が「信仰している宗教はない」と回答(NHK放送文化研究所「ISSP国際比較調査」2019年))の例にもれず、私も宗教は何となく危ないものとして考えないようにしていたのです。

 

でも、それも違うんじゃないかと最近やっと思えるようになりました。宗教を求めるのも人の心の動きの一つで、別に危険なものでも何でもありません。むしろ興味深いものだと思うようになったのです。

 

それで、お正月に放送された「100分de宗教論」というテレビ番組に興味を持って見たのですが、これが滅茶苦茶面白くて、この中で紹介された「深い河」を読むことになったのです。

 

「深い河」では遠藤周作が影響を受けていた宗教多元論的な要素が描かれているとのことでした。宗教多元主義とは、wikipediaによると、「さまざまな宗教が同じ社会に存在することを認め、お互いの価値を認めながら共存していこうとする宗教的態度、思想」ということです。

 

要は、「世の中色んな宗教があるけど、みんなアリだから仲良くしようよ」ってことだよな、と私は勝手に解釈しました。思い込みをとっぱらえば世界は何でもありだと思っている私にはすごく共感できるように感じられました。

 

遠藤周作、キリスト教の枠から出てこんなこと考えてたのかーと、俄然興味が湧いてきました。

 

さて、実際に「深い河」を読んで(聴いて)みて、どこが宗教多元論だったのかはうまく言えません。(そもそも、宗教多元論をよく理解してないし)ただ、物語がキリスト教の枠にとらわれず、人が救われるってどういうことかを描こうとしてるように私には感じられました。

 

登場人物は、妻をがんで亡くした初老の男性、学生時代に同級生に誘惑され弄ばれ捨てられた生真面目な男性、誘惑した女性、動物を愛する童話作家、太平洋戦争のインパール作戦に駆り出されビルマのジャングルで死にかけた男性、その男に寄り添い一緒に死の淵から生還した戦友と後に彼が死を迎えるときに支えとなったクリスチャンの白人男性など、多様です。

 

これら人物の多くが、極限まで傷つき、しかし救われた経験を持っています。そこには共通点があります。自分がこれ以上ないほどか弱く無様でみじめな状態であったとき、そんな自分を見捨てないでそばで寄り添ってくれた存在があったことです。

(生真面目な男性の場合はキリスト教の神様(彼はタマネギと呼んだりします。名前は何でもいいらしい)、童話作家は九官鳥、インパール作戦の男は戦友、その戦友は白人の男性です。)

 

どんなときも自分の傍らで味方してくれる存在に支えられ、自分の人生をひた向きに生きること。

 

このコンセプトには既視感がありました。数年前に愛読した漫画「ここは今から倫理です。」に出てきた、ぬいぐるみと恋愛している少女のエピソードです。(一番気に入ってる話の一つです。)

 

少女にとっては自分を見守り絶対の味方でいてくれる存在がぬいぐるみで、彼女は自分とぬいぐるみの関係を「恋愛」と呼んでいます。どんな辛いことがあっても、ぬいぐるみが全部受け止めて応援してくれるので乗り越えていけるのだそうです。

 

こんな話をする人がいたら、普通はヤバい人として引いてしまうところですが、この漫画の倫理の教師は、「あなたはぬいぐるみを通してアレテーを手に入れてる」といいます。

 

「アレテー」とは、wikipedia(また)では「徳」のギリシャ語訳として紹介されており、

徳(とく、希: ἀρετή(アレテー)、 羅: virtūs(ヴィルトゥス)、英: virtue(ヴァーチュー)は、社会通念上よいとされる、人間の持つ気質や能力である

とされています。

 

このエピソードを思い出した私は、遠藤周作にとっての神様ってのは、どんなときも(いい時も悪いのときも)自分のそばにいて、自分とアレテーを繋いでくれるものなんだろうと理解しました。そういうものなら、どの宗教の神様かなんて関係ありません。それこそタマネギだってぬいぐるみだってよいのです。宗教多元論です。(これは私の薄っぺらい感想にすぎませんので、異論反論とかはご容赦くださいね)

 

私は基本的に自分に何が起ころうとも自分の味方でいようと思っています。色々やらかしたり失敗した時も、「そういうときもあるよ、だけど自分は自分の味方だよ」と言い聞かせるようにしています。それで大分救われます。そういう点では、私の神様は自分の中にいるようです。

 

ただ、実はあまりあてにならない神様かもしれません。今のところ必ず私を励ましてくれますが、これは基本的に私が家族(夫や子供たち)と良い関係が築けているからだと思えるのです。(もしかすると家族が私の神様なのかもしれません。)もしも自分が本当に天涯孤独になって誰からも相手にされなくなったら、それでも自分で自分を応援できるか正直自信はありません。

 

まあ、そういう状態になったら考えることとします。

 

「深い河」を通じて神様とアレテーが繋がるという面白い経験ができたというお話でした。