国鉄飯田線田切駅跡から伝説の聖地オメガカーブへ | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

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上伊那郡飯島町のJR飯田線田切駅にやってきましたよ!

築堤の上にあるホームから見下ろす位置に「アニメ聖地巡礼発祥の地」と記された記念碑が立っています!
裏には碑文が書いてありますがところどころ字が意味ありげに大きくなっています!
平成三年(一九九二)、ここ田切駅がせずしてアニメの舞台となりました。 主人公たちはアニメの中でこの血をじゆうに動きまわり、それを追いかけてその年から訪問を始めた私たちはホーム・階段・ガード下などがアニメのそのまんまであることにきょう喜し、2次元で躍動する登場人物たちとこのう間を共有する楽しみをはじめたのです。 当時その訪問を表す言葉はありませんでした。 しかし時は巡りいつしか聖巡礼と称される中、私たちはハタと気づき確信しました。 あの時この場しを訪れたキウキ感。 嗚呼、あれこそが聖地礼の始まりだったのだと。 私たちはニメ聖地巡礼発祥の地が田切駅だと確信する多くの皆様のご厚意を受け、聖徳寺様から快く用地のご提供をいただき、温かい田切の皆様に感謝して、ここに記念碑を建立します。 全国のアニメ聖地を巡礼すすべての人が笑顔になるように願いを込めて。
あとで調べてわかりましたが究極超人あ~るというのがその題名で、その舞台だったらしいです。
きょうは僕も田切を聖地と思って来たわけなんだけど、このアニメとは全く関係ないんだ!
しかも僕の田切の駅はこんなじゃない!
グレ、何が起こったか確かめてくるからここで待ってて!
築堤裏の階段を上がってホームに出ました!
白線の内側に下がったら柵にぶつかるような極めて細長い1面1線の棒線無人駅です。
時刻表を見ると昭和の時代と列車本数は変わりなく少ない。いや急行や貨物列車が廃止されたぶん、当時よりダイヤはスカスカのはずだ。
待合室を出て伊那福岡方向を見てハッとした。
僕の田切はあそこだ!
グレおまたせ。目的地はもうちょっとあっちだ!
お寺と線路の間の細い路地を上がっていくと
遮断器も警報機もない4種踏切があり
遠くの今の駅を見ながらそれをわたった先に

僕の田切駅、すなわち旧田切駅跡がありました!
ホーム端と駅舎前のスロープ跡がしっかり残っている!
急カーブのアウト側にあったホームも側壁は壊されているが地形は当時の面影を留めている。
上写真のグレがいる位置から撮った1980年の写真。
停車中の80系旧型国電を撮ったものだが、カーブのカントにより車体は大きくイン側に傾いているので、乗降は経験したことないくらいスリリングだった記憶だ!
振り返って現在の移設された駅の方に向かって走り去る80系を撮った1枚。周囲の風景はさほど変わってないのがわかる!まさかあっちに駅が移るなんてね。

くんくくく、テツのイコウのにおいがします、これはなんですか?
ホーム跡の茂みの奥に旧駅舎跡の記念碑があった!
この駅の歴史は1918年伊那電気鉄道の田切停留所に始まる。
急カーブ上にあり安全確認が困難との理由で、1984年6月にホームが現在の位置に移転されたということだ。
即ち、移転は国鉄時代のうちに行われたわけである。
往時の田切駅を通過する165系急行。わずかに木造駅舎が写っている。あのアジサイの位置に今の石碑がある。当時は急行列車全盛の時代、飯田線では伊那、天竜、こまがねが全て165系で運行されていた。

僕がなぜその1984年より前、正確に言うと受験勉強に入る前の1981年迄の田切を聖地として崇めていたのかというと、

さっきの80系よりもっと古い戦前型旧型国電をターゲットとして撮影するため、この駅に何度も降り立ったからだ!

旧型国電、いや実は国鉄式に正確に表記すると旧形国電なのだが、その定義を簡単に記そう。
単に古い型の国鉄型電車という意味ではなく、1957年に登場した101系電車以降のカルダン式駆動の電車を新性能電車と呼ぶのに対して、
それ以前の伝統的なモーターが直接動輪を駆動する吊り掛け駆動方式の電車を旧性能として旧形電車と呼称することになり、転じて旧形国電からさらに旧型国電という呼び名が定着していった。

昭和末期、全国で新性能化が進められる中で、ここ飯田線には各地を追われた旧型国電が集結し、旧国の聖地と呼ばれていたのだ。

1980年豊橋での写真。左が80系、右がクハユニ56。
左の80系は1950年より東海道本線に新製配備された準急・急行型の型式で、湘南色/湘南顔という鉄道車輌の一大トレンドを生んだ車両だ。室内はデッキ付きフルクロスシートだ。

右のクハユニ56は戦前の房総や横須賀線に配備された車輌で、郵便室、荷物室、客室が一体となった車輌だ。
ちなみに下写真左奥と7枚前の写真の茶色いクモハユニ64000は、下写真右のクハユニ56003とは兄弟で、共にモハユニ61として製造された。電装はされずに改番をうけたのが56003で、
電動車化し更に両運転台改造し1形式1輌のみの珍車となったのが64000で、飯田線旧国に最後に加わった1輛だ。最終的には兄弟と同じスカ色を纏った。

飯田線で当時人気があったのは旧国でも戦後型の80系よりも、上の例のように全国各地を流転の末様々なエピソードを持参の上ここに集結した個性的な横須賀色の戦前型旧型国電たちの方だった。

そしてその旧国の聖地・飯田線の撮影地として誰もが憧れた聖地の中の聖地が、ここ田切なのだ!
僕が晴れて大学進学した1983年の8月21日、飯田線の旧国は全て新性能の119系に置き換えられ消滅した。

つまりこの田切駅は、古の旧国を看取ったその翌年に自らもその生涯を閉じたということになるのだ。

クンクンくくく、さっきからセンロがわずかにふるえてて、だんだんおとがおおきくなってきましたよ!

313系豊橋行きの列車がやってきた!

令和のデロリアンは田切駅跡の僕たちには目もくれずさっそうと通り過ぎると、

現在の田切駅に吸いこまれていった。
そう。昭和時代に旧国を葬った119系ですら、もう今はここにいないのだ。まさに諸行無常だ。
果たしてこの森の先、伊那福岡側にあったかつての聖地、オメガカーブはまだあるのだろうか?
当時は今ほど木が高く生えてなかったので、ホームから中央アルプスが見渡せたし、オメガカーブからも駅を出てΩの字を描く線路を軋ませながらゆっくり走る列車が見渡せたんだが、今はどうなってるだろうか?今日はそれを確かめに来たのだ!

伊那福岡―田切間の地図。等高線に合わせて線路は大きく蛇行してΩの字を描いているのがわかる。そのΩの中に立てば、270°のリアル鉄道ジオラマが堪能できたんだ!さあ!行こう!

りょーかいです!あついからクルマでおねがいしますよ!

というわけでオメガカーブに移動しました!
あたりはだいぶ木が伸びて、川っ縁に昔はなかった建物ができて、眺望は制限されますが、お立ち台と呼ばれた築堤は健在のようです!
ほほう、これがオメガカーブというセイチですか。
ここでパパはどんなシャシンをとったんですか?

ほぼ同じ立ち位置で1980年に撮影した245M辰野行き。
クモニ83−クモニ13−クハ47−クモハ51(54)→
この列車は4両編成の半分が荷物電車で、旅客は辰野よりの2両しか乗れないという名物列車だった。
余談だがこの列車は辰野で荷電のみ切り離されて、夕方荷2042Mとして折返し運転された。日が長い季節しか撮影できないので狙わないと撮れなかった記憶だ。なおこの写真は田切ではなく飯島付近だ。
当時クモニ13は基本この荷2042M以外では顔を収めることが困難だったのでこのあと天竜峡まで追っかけてこれを撮ったんだ


話を戻して、Ωカーブでのお立ち台的なアングルがこれ。中央アルプスバックの80系。
クハユニ56先頭の4連。続くのはクモハ43クモハ54クハ68かな。

別アングル。これもクハユニ56だ。豊橋側から撮ってるとクハユニ祭になるが、順光がこっちなので仕方ない。

ガキのくせに生意気なアングルで撮った165系急行こまがね。なぜこまがねと分かるのかというと、豊橋側からクハ165が2輛重ねになってる特殊な編成だから。この列車は辰野で大糸線から来たアルプスに増結され、さらに甲府で身延線から来たみのぶも増結して新宿を目指した。まさに旧国ファンのための急行だった。

ああそんなこといってたらデンシャがきましたよ!
キのなかをぬけて、たんぼのむこうにあらわれました!

いまは木が繁ってあまり見えないけどかつてはずっと列車が見渡せたんだ。今でも270度くらい、ずっと列車の音は楽しめる。今でも聖地には変わりないね!

Ωの入口で来る列車の編成を確認してからレリーズをギュッと握りしめた感覚を思い出した!懐かしいな!

Ωの伊那福岡側。こんな感じでこれから来る列車が見えた。あっちの山は南アルプスだ!

へーえ、むかしはぐるっとデンシャがみわたせたんですねえ、いまのよりかだいぶオトはうるさかったんじゃないですか?

では当時の旧型国電が懐かしい人のために音を!
1981年、田切で1221Mの2両目クモハ54131に乗車してΩカーブを五感で堪能したあと、伊那福岡−駒ヶ根間でレコーディングウォークマンで録音したものです。
(写真は別の日に撮影した54131たぶん
これが吊り掛け駆動の音です!いい音録れてるんだなこれが!


ああチョー懐かしい!グレ、暑いけどもう少し付き合ってくれ!もう少し右に行こう!

Ωカーブのなかほどで線路は中田切川を渡るんだ。

あの鉄橋でもよく撮影したんだ!

ここで一緒に川におりて水遊びしながらもう一本列車を待とうと思ってたけど、護岸が高くなってグレが降りるのは危なくなっちゃってる、残念!足早に回想しよう!

1981年、クモハ53008先頭の2連。53は43の高出力版で、008は半流線型顔の2扉広窓フルクロスシートの元関西急電、当時のスター車輌の1つだった!撮影当時はもう姿を消していた流電クモハ52に対して、平妻顔の車輌とのハイブリッド形態という意味で「合いの子」とも呼ばれていた。

前パンがカッコいいクモハ50008。クモハ43が来たと思って嬉しくて早切りした!なお50は2扉クロスシートの43の3扉セミクロス改造車だ。こういう魔改造がたくさんあるから旧国は奥が深くて夢中になった!

ED62が牽く貨物列車。こういう脇役も今となっては貴重なシーンだった。
ちなみにED62には動輪の台車2つの間に、飯田線の線路規格に合わせるため軸重を分散させる目的で車輪が1対追加されてて、片側5輪となっていた。しかしその車輪は動かないのでEEとは呼ばずEDのままだ。

ああいい気分、思い切り回想して十分ノスタルジーに浸れたよ!
一緒に40年前にタイムスリップできて感無量だ!
喋りすぎてのどが渇いたから水遊びできるスポットに移動しよう!

グレと一緒にリアル・バックトゥザフューチャーしたこの夏。

昭和の旧型国電の聖地、国鉄飯田線・田切の追憶でした!

  クモハユニ64000−クハユニ56003−クモハ43015 伊那松島電車区