日本カーリット(浅野カーリット)保土ヶ谷工場跡 | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

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横浜市保土ヶ谷区のたちばなの丘公園にきましたよ

ここのそばに陣ヶ下渓谷公園というのがあって、

グレが幼い頃からしばしばお散歩にきてましたが、 


ここのそばに、最近の探検で行った岩鼻や平塚で

嗅いだ軍用火薬製造所の匂いがするところがあるとグレが言うので、

駐車場がない公園ではありますが、タイムズのPを見つけて停めてなんとかやってきましたよ!

さっそく土塁とそれを穿つトンネルがあります!なんだこれは!?

たちばなの丘公園は、 保土ヶ谷区と旭区にまたがる124haの公園で保土ヶ谷区側の約35haの敷地が日本カーリット株式会社保土ケ谷工場の跡地である。
保土ヶ谷工場は、 大正8(1919)年、橘樹郡保土ケ谷町 (現在の保土ケ谷区 仏向町)で操業を開始しました。 その後、 敷地や設備を拡張しながら、この一帯の約29haで火薬類を製造していました。 
明治初期から日清・日露戦争にかけて陸軍省や海軍省が火薬の製造・研究を行いました。 
明治9(1876)年の 板橋火薬製造所の開設以降、大正時代までに王子、十条、目黒、岩鼻、宇治などに 火薬製造所が建設されました。 

軍用火薬製造の歴史は先日行った群馬の岩鼻火薬製造所にて大正6 (1917)年、日本火薬製造株式会社 (現在の日本化薬)がダイナマイトの製造を開始したことに始まるが 
大正8 (1919)年から浅野同族株式会社 (現在の日本カーリット (株)の母体)が保土ヶ谷工場で日本で2番目のカーリット爆薬の製造を開始した。 

沿革を要旨にすると
1917年、創業者の浅野総一郎がスウェーデンのカーリット社からカーリット爆薬の東洋における製造・販売権を獲得。
1919年、保土ヶ谷工場建設、カーリット爆薬の製造開始。
1920年 日本カーリット株式会社設立。
1923年 関東大震災により被災、浅野セメント株式会社に合併。
1934年 浅野カーリット株式会社設立。
1944年 保土ヶ谷工場が軍需工場に指定。
1946年 GHQがカーリット爆薬の製造再開を許可。
1951年 日本カーリット株式会社に改称。
1995年 保土ヶ谷工場を閉鎖し、群馬県に移転。
ということになる。

余談だがこの創業者の浅野総一郎という人物は、
浅野セメントをはじめとする浅野財閥を築いた人物で、実は僕の母校である浅野学園 

の創始者でもあるのだ。確かに僕が在学中には創始者の偉業を学ぶ機会が何度があった記憶だが、当時は全く興味なく聞く耳を持たなかった。
年を経てまたこんなところでこの名前を聞き、その遺構を目の色変えて訪ね歩くことになるなんて、人生は不思議なものだなと思う。
また鶴見線の浅野駅は、この浅野氏の名字をとって名付けられたものだ。

話を戻そう。
公園となった現在ここには火薬工場の歴史を伝える土塁やレンガ造りのトンネルなどの遺構が保存されてある。
土塁とは土を盛って築かれた土堤のことで、工室と呼ばれる火薬類の製造を 行う建物や火薬庫の周囲に設けられました。
土塁は火薬製造時の爆発や発火事故の 影響が周囲に及ぶことを防ぐ役割を果たしました。
保土ケ谷工場でも大正6(1919) 年の工場建設時から土塁が設けられ、工場の拡張 がほぼ完了した昭和30年代には40箇所以上ありました。 
公園内に保存された4箇所 の土塁は、昭和16 (1941)年以降の工場の増設により設けられ、内側の大きさが10~ 15m×20~25m程度、3方は約4~5mの高さの盛土で、 1方は自然の斜面地形を 活かして作られています。 
各土塁には出入口となるトンネルが2本あり、 トンネルの 中にも退避場となる空間があります。 
保存された8本のトンネルは、7本がレンガ造り (一部モルタル補修あり)、1本がコンクリート造りです。
また、トンネルの前には、 工室での製造工程を示す記号が記されています。

カーリット爆薬の製造工程は以下のようで、
土塁内には各工程に分けて工室が作られた

このような土塁やトンネル遺構は全国でも珍しく、 現存するのはつい先日見に行った岩鼻火薬製造所など限られた場所のみだ。

各工室はトロッコで結ばれ、搬入搬出は隧道を介して行われた

説明が長くなったが、ではさっそく目の前の最初のトンネル遺構から見ていこう

くんくん、カヤクとテツのにおいがします!

坑道のポータルのようなかんじで、コンクリートと煉瓦でできている

ここが一連の工程の始まりなのかな

くんくく!みてください!

中には入れないが、ナローなレールが敷かれている!

レールはトンネルの向こうにも続いていたと思われるが、その先はフェンスで封鎖されている

右には退避のための窪みと思われる部屋がある

動画です


このさきはどうなってるんでしょう!?

コウエンのおくにムカいましょう!

またおなじようなアナがあります!

最初に挙げたカーリット爆薬の製造工程の第一段階、混和を行った工室である

ここはコンクリートのみで構築されている

4K

トンネルの向こう側が工室だろう

では先に進もう

そこにもなんかありますね!?

ここは煉瓦造りのコンパクトな坑口である

うえに9Tってかいてあります!

ここでカーリットの次の工程、填薬が行われた

9T

ここにも横に待避所の部屋がある

ここを動画で


そして更に進むと、

コンクリートのコンパクトな坑口があって

ここが次の工程、包装収函を行った工室だ
包装収函工室
内部は皆似たようなものだ

次は良い雰囲気の煉瓦造の坑口で、

くんくん、

内部も同じ構造ながら煉瓦がむき出しだ

上になんて書いてあるのか読めないがここも包装収函工室かな

となりにおんなじかんじのがもうひとつありますね

もう一つ奥のに行くと

同じ煉瓦のポータルがあって
中を覗いても
やはり同じ構造

ここにせつめいがあります

包装工室から転用された導爆線(導火線)工室ということだ

読めないがDFなんだろう

くんくん、よくちがいはわかりませんが

いにしえの爆薬工場の遺構、

たんのうできたとおもいます!

動画です


これで土塁と工室跡は一通り見た感じかな

あそこからドルイのうえにのぼってみたいです!

というので奥の道から尾根上に登ってみると
くんくん!あそこにもなんかあります!

壁が一部だけ残っていて
説明があります

これが当時の境界壁の一部で、
万年塀と名付けられている

当時モノの注意書が残る

危険区域 火気厳禁 立入禁止 のようだ

藪に入ればもしかしたら建物基礎とかあったり、頑張れば土塁の裏側とか行けそうだが、さすがに今の僕らには無理だからこれでおしまいにしようか。

まんきつしました!

あとはせっかくのきれいな公園なので

小春日和の並木道のお散歩を楽しみましたよ

家からほど近い、市街地に紛れてこんなスポットがあったなんてね!

なおこの公園はPの整備も含めて今後さらに拡大する予定らしいです。

横浜市保土ヶ谷区のたちばなの丘公園、かつての軍需爆薬工場、日本カーリットの跡を散歩しました。
楽しかったね!

じつはこことまったくおなじニオイが、いつもカンエツをハシってるとしてくるとこがあるんですよ!
つぎはそこをしらべにいきましょうよ!!
エエッ、マジ!?
〜来年に続く