秋の北軽井沢、嬬恋村の山奥の小菅という地区にやってきましたよ。
こんなとこに何しに来たかというと、目の前のガードレールの切れ目のとこ、あそこにはかつて、草軽電鉄の線路が、
道路を渡るように走っていたんです!
上の写真の左方向を見たのがこの写真、左の小菅沢に並走するように、右に軌道跡が続いていますね。
さっそく軌道跡上をグレと歩きます!
ここはかつての駅間でいうと、吾妻~小代間ということになります。
昭和12年の地図です。いまいるとこはこの真ん中のへんに当たります。
平坦な軌道跡ですが、廃線後50年以上たっているので熊笹が茂って自然に還っていますね。
小菅沢に沿って、軌道跡が右にカーブしてるのがわかりますね。
熊笹をかき分けてどんどん進みます
>ひゃっほぅ!
・・・と、勢いよく歩いていたグレが、とつぜん立ち止まっています!?
>くんくん、オトシアナですよ!あぶないあぶない!
落とし穴のようなこれこそが、きょうの目的の遺構、草軽電鉄の、現在では唯一残る鉄橋のあとです!
草軽はここで、小菅沢を渡っていたのです!
>なんだかわかんないけど、わたしはカワであそんでますよ!
橋台には2対の微妙に異なるプレートガーダーが架かっています。これが左側で、
これが右側。
ナローゲージの軽便鉄道ですから、このプレートのどっちか片方だけで十分なはずです。
S37年の廃線後、この区間は数年間、軌道跡を専用道路として草軽交通の乗り合いバスが走っていたそうです。
そのため片方はどっかから移設したのでしょう。
>いつまでそこにいるんですか?
といわれたので川に降りてみます。
>こっからミたほうがいいかんじですよー、
紛うことなき草軽の特徴的な橋台、そこに赤茶けた鉄橋が架かっています!
この鉄橋遺構、実はweb上を見渡してもまず出てきません。
出てくるのは、当ブログですでに紹介した厳洞沢橋台、それに柳川橋/給水橋がほとんどで、
マニアの人のサイトでやっと、こないだの二度上橋台がでてくるくらい。
それくらいこの鉄橋はあんまり知られていないんだよね~
>じゃなんでパパはシってるの?
実はね、バニーさんと見つけたの!
パパはね~2009年ごろこれにハマっててね~、、2年くらい北軽でやることってこればっかだったんだよねー、
草軽全線、55.5kmを全部踏破したんだよー、バニーとね!
>そんときのシャシンはもっとミれないんですかぁ?
はっきり言って、このブログを見に来る人の98%くらいはそこまで必要としてないからねー(笑)
どうしてもという人のために、いまは休眠中のmixiのアカウントを公開しちゃおうかな?
草軽探索記のインデックスがこれで、きょうのとこが載ってる日記がこれ。たぶん日本で一番詳しい探索記録だよ(笑)
>す、すごいですねえ!というかとんでもないオタクっぷりですねえ!わたしもまだまだですねえ!?
・・・というわけで、反対側にいこうか、
鉄橋わたって、あっちのほうまで線路が続いてる感じ、わかるかなぁ~?
この鉄橋は50年間、こんな山の中でずっとこうしてたんだねえ!
>くんくん、ゴガンがくずれてカワにおちていますね!?
>それでもハシのぶぶんはガンジョウですねえ!ちっともカタムいてないですねえ!
>きっとクイがしっかりふかいとこまでトドいてるんでしょうねえ!ムカシのひとはえらいですねえ!
まー杭は使ってないと思うけどねー、、
下から覗いてみよう。
なんか、今にも上を電車がガタゴトと走ってきそうだ!
今はただ、サラサラと川の流れる音だけが、森に響いています。
昭和初期の、佳き時代の力強さを
深い森の中に見ました。
半世紀の長い年月が流れても、
往時のクラフトマンシップは、どんなに錆びても、褪せることのない力を秘めているようでした。
さあ、あっち側に戻ってもうちょっと川で遊ぼうか!
>まってました!
>イエーーイ!!
>バシャバシャーッ!
>ふぅ~マンゾクしました!
今年最後の北軽井沢は、草軽探検で終わりました。
空の上のバニーも懐かしんで見てたかな?
いにしえの草軽電鉄、小菅沢鉄橋でした。