44才Mrガチぼっちの「ありのこ」です。
​​​​​​ごきげんいかがでしょうか?

アニメ「葬送のフリーレン」の第10話を観ました。

第10話のタイトルは「強い魔法使い」

 

 

 



第10話は「卑怯」がテーマの1つになっていました。

大魔法使いフランメ→フリーレン→フェルンの師弟3代にわたって「卑怯」だと。

そもそもフランメが「魔族に対して卑怯で上等」主義。

魔族は絶対悪なので卑怯でOK。

RPGで勇者パーティ側に「卑怯で上等」主義者がいるのはおもしろいですね。

RPGでは魔王(ラスボス)1人に対して複数人のパーティで戦っているので、そもそも卑怯と言えば卑怯な気もしますが。

とは言えRPGの戦闘では「勇者側は卑怯ではない」という前提があると思います。

「葬送のフリーレン」では「戦闘において勇者側は卑怯ではない」という前提をむしろ潰しているのがおもしろいですね。

他方、現実世界の過酷な戦い。
それは戦争。

戦争もそもそも「卑怯」なもの。
武士道精神やら騎士道精神やらも言ってられない。

とは言え「戦争にも人道がある。だから民間人は巻き込まない」ということにしました。

ただし実際の戦争となれば戦地(=現場)ではどうなのか?

たとえば民間人の恰好(かっこう)をしたゲリラ兵がいるかもしれない。
そんな現実の中「民間人は巻き込まない」という人道が機能するのか?

「現実の戦争はグチャグチャの卑怯の世界である」という現実を突きつけられた2023年。
しかも1つの戦争ではなく2つの戦争で見せつけられています。

 

「ロシアVSウクライナ」と「イスラエルVSハマス」です。

 

では戦争ではない日常はどうなのか?

「日常生活は戦争ほどは追い込まれていない。だから卑怯なことは強く否定されるべきだ」

この主張は言うのは簡単です。

 

しかし多くの人に対して脱卑怯にする力はどの程度あるのでしょうか?

もしかすると多くの人を脱卑怯にする力の1つは「宗教」なのかもしれません。

アニメ「葬送のフリーレン」の第11話に話を進めます。

第11話のタイトルは「北側諸国の冬」。

タイトルに入ってませんが第11話のテーマは「時間と宗教」なのかな、と。

 

 

 



「自分の軌跡が後世に残らない」問題。

エルフは長寿だから自分の功績を知っている人間たちがみんな死んでしまう。

だから自分の功績は誰も覚えていない。

エルフ特有の問題のように見えますが、人間も同じです。

私が知っているご先祖様は祖父母までです。

その前は知りません。

そんなものです。

先祖ではなく生きている人間たちの間でも同じです。

あまりにも長生きすると自分の功績どころか自分が生きた時代のことすら知らない人ばかりになります。

冬山で出会ったエルフの男・クラフト
彼は武道僧(モンク)

「葬送のフリーレン」における宗教では「女神」が信仰の対象になっているようです。
フリーレンは「女神は神話の時代を除いて姿を現してない」と言います。
どうも女神を信じてないようです。

同じエルフですがクラフトは「死んだら女神に褒めてもらいたい」そうです。

いまや誰も自分の功績を知っている人間はいなくなり、誰も褒めてくれないから。

私は宗教を何も信仰していません。

お正月=神社 人が亡くなる=お寺

日本人の大多数が持っている宗教観と同じです。

だから宗教を外側から見ると「なにごとも主観の問題」なんだと思います。

女神がいると思えばいるし、いないと思えばいない

宗教とは「せいぜい主観の問題に過ぎないものなんぞに救われるのか?」とも言えるし「主観の問題だからこそ救われるのだ」とも言える。

宗教の外側にいる人間にはこれ以上は分かりません。

 

分かりませんが、現実の宗教について1つ例を出しておきたいと思います。

 

2023年11月、衝撃的なニュースが日本を駆け巡りました。

創価学会の池田大作氏が死去しました。

 

 

 

 

このニュースのあとに私は1冊の本を読んでいます。

 

田原総一朗「創価学会」です。

出版は2018年です。

 

 

田原総一朗氏は「朝まで生テレビ」の司会で有名ですね。

 

 

 

 

田原総一朗「創価学会」には田原総一朗氏が池田大作氏にインタビューしたことが書かれていました。(ハードカバー版p101~102)

 

田原総一朗氏は池田大作氏に次のように聞いたそうです。

 

来世、つまりあの世を見た人は誰もいませんよね。なのに、どうしてそれがあると信じられるのですか

 

池田大作氏は次のように答えたそうです。

 

あるかどうかはわかりません。でも、あると思ったほうがいい

 

「葬送のフリーレン」の「女神はいるのか?」問題に似ています。

なにごとも主観の問題」です。

 

田原総一朗氏の解説によると

 

あの世があると信じていれば、人はこの世でいいことをする。

あの世が存在すれば、その善行は報われるからだ。

一方で、ないと思い悪行を重ね、もしあったら大変なことになる。

本当にあるかどうかは関係ない。

自分がどう思って生きるかが大事なのだ。

 

とのことです。

 

卑劣に話を戻せば「来世があると信じるから卑怯なことをしない」と言えるでしょう。

卑怯なことは悪行であり、卑怯なことをしないのは善行だと私は思いますので。

 

そう、私は宗教に関しては「思います」としか言えません。

とは言え「葬送のフリーレン」の世界だけではなく現実での世界でも宗教は存在しています。

 

そして宗教は政治に影響を与えています。

(宗教が政治に影響を与えているのは日本だけではないです)

 

よって宗教を自分なりに分析することは民主国家の有権者として必要だと思います。

 

 

 

 

 

 

ブログ記事は以上です。

 

*ブログ記事のタイトルはChatGPTに考えてもらいました

 

アニメ「葬送のフリーレン」第9話についてはすでにブログ記事にしています。

興味があればぜひお読みください。

 

 

 

 

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