44才Mrガチぼっちの「ありのこ」です。
​​ご機嫌いかがでしょうか?

 

前回は池田信夫「丸山眞男と戦後日本の国体」という本から話をしました。

 

無様な負けぶりになる戦争を何故したのか?」について。

丸山眞男が「なりゆきいきおいを理由に挙げている」と言うのが前回のお話でした。

 

なりゆきいきおい」で日中戦争を泥沼化させ太平洋戦争に突入しフルボッコになって負けたのは「合理性の欠如」と言って良いでしょう。

 

今回はもう1つ「合理性の欠如」の話をします。

 

丸山眞男は

 

無様な負けぶりになる戦争を日本は何故したのか?

 

についてもう1つ理由を挙げています。

 

それは「心情の純粋性」です。

 

「心情の純粋性」は「動機の純粋性」と言いかえても良い。

 

目的の善悪を問わず純粋な動機を倫理基準にする。

 

「あいつは純粋なんだ」だとなんでも通ってしまいます。

 

「あいつの心情を察してやってくれ」の世界です。

心情が純粋ならOK。

 

国家の運営や戦争で「動機の純粋」を基準にされたらたまったものではありません。

 

1932年に起きた5・15事件。

1936に起きた2・26事件。

 

 

 

 

動機さえ純粋であれば総理を殺しても良い、クーデターを起こしてよい。

そのような日本的風潮が大きな事件を起こし、日本の歴史を悪い方に流していきました。

 

 

 

 

何も国家と言う大きな話ではなく、21世紀になっても日本のあちこちで見る話です。

 

 

「あいつは純粋な気持ちでやっているんだ。決裁を通してあげるべきだ」

「あいつは純粋な気持ちでやっているんだ。見逃してやってくれ」

 

こういう話は多くの組織でインフォーマルな圧力、非公式な圧力としてあるのではないでしょうか?

 

目的が間違った方向に向かうのであれば決裁印は押してはいけないし、見逃してはいけないはず。

しかし決裁印を押さなかった人や見逃さなかった人が批判されかねない風土が日本にはまだあります。

 

決裁印を押してしまったので悪い方向に向かい取り返しがつかなくなる。

見逃してしまったので悪い方向に向かい取り返しがつかなくなる。

 

こういう危険性はあるのです。

 

5・15事件の時「犯人たちは純粋だった」と死刑を回避。

この死刑回避が2.26事件を誘発した原因の1つと言われています。

 

21世紀の日本でも「心情の純粋性」により国家運営を誤ったり、組織運営を誤ってしまう危険性があると思います。

 

 

 

 

 

 

今日のブログ記事を書くために参考にした本

ぜひ読んでみてください。

 

今回のブログ記事は以上です。

 

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