皆さんご機嫌いかがでしょうか?

42歳Mrガチぼっちの「ありのこ」です。

 

「激動の昭和史 軍閥」という映画(邦画)を観ました。

 

wikipediaによると

 

1970年8月11日に公開された東宝製作の映画。

カラーのシネマスコープ。「東宝8.15シリーズ」の第4作。

 東條英機を主人公に当時の政府と軍部、陸海軍の対立、そしてそのような状況下のメディアの姿勢について描いている。

 

とのこと。

 

1970年ですから、現在42歳の生まれのおじさん(=私)ですら生まれていません。

 

今どき、こんな映画を見るなんて珍しいでしょうね。

 

今回はこの「激動の昭和史 軍閥」をもとに「東条英機」について考えてみたいと思います。

 

 

 

 

 

◯左右で論争の的にされた東条英機

 

東条英機は太平洋戦争開戦時の総理大臣でした。

さらに陸軍大臣も兼任。

さらに東京裁判ではA級戦犯として有罪になり死刑。

 

このような状況もあり、東条英機は悪者されまくりました。

特に左派(ちょっと前の言い方だと「革新系」)に。

 

「なんでもかんでも東条英機が悪い」と。

この反動で右派が「東条英機は正しい」「何も悪くない」となります。

 

つまり東条英機を評価する場合、思想がくっついてしまいました。

 

しかし私は政治的には無党派層です。

思想も従来の「左右」どちらでもないです。

 

その政治的思想が「無」であるMrガチぼっち・ありのこが「東条英機」について分析したいと思います。

 

◯東条英機の良かった点・悪かった点

 

挙げればキリがありませんので、かいつまんで取り上げます。

 

<良かった点>

 

・総理大臣になるつもりはなかった。

・参謀総長を兼任したのは仕方なかった。

 

<悪かった点>

 

・自分の意見に反対する人の使い方が下手

・「敗戦なんてありえない」の一点張り

 

何回かに分けて東条英機について考えていきたいと思います。

今回は<良かった点>を考えていきたいと思います。

 

◯総理大臣になるつもりはなかった

 

政治的な野望はなかった」ということですね。

少なくとも総理大臣になった時点では、「総理大臣になろう」なんて思ってもみなかった

 

自分が陸軍大臣として入閣していた第3次近衛文麿内閣が倒れました。

その後、東条英機は昭和天皇に呼ばれます。

 

 

 

 

東条英機は「天皇陛下からお叱りを受ける」と思ったそうです。

「陸軍(大臣である自分)が内閣を倒したので、天皇陛下からお叱り受ける」と。

 

しかし実際には天皇から東条英機が首相に任命されます。

 

当時、昭和天皇は「外交優先」でした。

つまり「日米交渉を妥結しろ」と。

 

東条英機は天皇に忠実でした。

古い言い方をすると「忠臣」です。

 

忠臣である東条英機なら日米開戦を回避できるだろう、と。

だから総理大臣に任命されます。

 

東条英機は昭和天皇に忠実である」も東条英機の良い点にプラスされますね。

 

この東条英機が「この時点で総理大臣になるつもりはなかった」というのは、「激動の昭和史 軍閥」だけの表現ではありません。

 

他の映像媒体や書籍でも私の知り限り同じです。

 

となると「ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは違う」ということになります。

 

 

ちなみに当時のイタリアは「王国」です。

ムッソリーニは国王陛下から首相に任命されています。

この点では日本と同じですが、イタリアの戦争指導者はムッソリーニだと言われています。

 

ムッソリーニはローマ進軍というのをやって国王から首相に任命されます。

主体的に政権を取りに行っています。

東条英機に「総理になろう」という計画はありませんでした。

 

◯参謀総長を兼任したのは仕方なかった

 

東条英機は太平洋戦争の真っ最中に参謀総長を兼任します。

これがものすごく評判が悪かった。

 

でも、これって仕方がなかったと思います。

だから「東条英機の良かった点」というよりは「仕方がなかった点」と言えます。

 

参謀総長とはなにか?

陸軍の「軍事作戦に関係すること」を取り仕切るトップです。

「軍事作戦に関係することを取り仕切る」ことを難しい言葉でいうと「統帥権(とうすいけん)」と言います。

 

「統帥権」って少し日本史(近現代史)が好きな方は聞いたことがあるやつですね。

「統帥権干犯問題(とうすいけんかんぱんもんだい)」のあの「統帥権」です。

 

陸軍と言いますが、陸軍に関することであってもすべて陸軍大臣が偉いわけでありません。

「軍事作戦に関係することを取り仕切る」=統帥権に関することは別のトップがいました。

陸軍では参謀総長と言います。

 

だから東条英機が総理でも陸軍の軍事作戦に関することには関与できなかった。

戦争をしているのに「総理が軍事作戦に関与できない」なんて考えられません。

 

他の国ではありませんよ、こんなこと。

連合国だろうが枢軸国だろうが、こんなことはありえない。

総統と呼ばれようが、大統領と呼ばれようが、総理と呼ばれようがありえない。

 

いや東条英機は「陸軍大臣も兼任しているではないか?」と。

さきほど述べましたよね、

「陸軍に関することであってもすべて陸軍大臣が偉いわけでありません」と。

 

東条英機が総理大臣兼陸軍大臣であっても陸軍の統帥権に関わることには口出しできません。

だったらどするのか?

東条英機自身が参謀総長を兼任します。

 

では海軍はどうするのか?

海軍大臣は嶋田繁太郎という人でした。

東条英機に比べて全く有名ではないけど、太平洋戦争の政治史では重要な海軍の軍人だと思います。

 

なぜ東京裁判で死刑にならなかったのか不思議なくらい。

(「死刑にしろ」という意味ではなく、他の死刑判決を受けたケースとの比較にて)

 

嶋田繁太郎は「東条英機の言いなり」でした。

東条英機の腰巾着(こしぎんちゃく)だった。

 

その「Mr腰巾着」である嶋田繁太郎海軍大臣も海軍軍令部総長を兼任します。

軍令部総長とは海軍版の参謀総長です。

つまり海軍・統帥権のトップ。

 

「東条英機=陸軍大臣・参謀総長」「嶋田繁太郎=海軍大臣・軍令部総長」という体制を作ります。

これだけでも無理やりです。

本来は東条英機と嶋田繁太郎は軍事関係では「対等」なのです。

しかし嶋田繁太郎が東条英機の腰巾着(こしぎんちゃく)状態だったので、なんとか東条英機が戦争指導者としてやっていけるようになりました。

 

私はこれは仕方なかったと思います。

今、世界最強大国アメリカと戦争しています。

 

日本政府の内部から「これは統帥権に関わることだからあなた(東条英機)には関係ない!」と言われては戦争どころではありません

しかしこの「陸軍大臣・参謀総長」兼任、「海軍大臣・軍令部総長」兼任は非常に評判が悪かったようです。

 

この「統帥権(とうすいけん)」に関わる話はこのシリーズの最後でまた述べたいと思います。

 

今回は、ここまで。

次回は「東条英機の悪かった点」を述べていきたいと思います。