富田一彦氏という予備校講師。

代ゼミの英語講師の方。

私は駿台に通っていた(と言っても1997年というかなり昔)ので富田一彦先生に教わったことはない。

富田一彦氏の著作「試験勉強という名の知的冒険2 キミは何のために勉強するか」p203~206にて「授業中に寝る生徒」のことを書いている。

 

 

 

 

富田一彦氏は寝ている生徒を怒らないそうだ。

「その生徒の人生が自分に関係ないとわきまえている」からだそうだ。(下線は引用者=私)

賢明な態度である。

 

しかし大半の大人(=先生・講師)がこのような賢明な態度を取ることができない。

寝ている生徒の背中から「お前のつまらない話なんか聞きたかねぇや」というメッセージを読み取り、それで怒りだすと指摘している。

生徒が授業中に寝る理由をいくつか指摘しているがほとんどの場合「教師の話が下手すぎる」であると富田一彦氏は指摘している。

全くそのとおり。

 

教えるのは難しい」p205のである。

 

受験英語の神様と呼ばれた伊藤和夫氏(すでに故人)。

駿台の英語講師だが、その伊藤和夫氏ですら次のような状況だったそうだ。

 

 授業は東大スーパー在籍者等、上位学力者に対して行われる「教養講座」のようになっていた。

甲高い声ながら単調な講義は眠気を誘い、かといって遅れたり眠ったりすれば容赦なく「君たちと 同世代で働いている人たちは社会人として遅刻や仕事中の私語など許されていない!真剣に授業 を聞いている君たちの仲間、いや、ライバルに対しても失礼だ!」と怒鳴る伊藤の講義への出席率は、 始めのしばらくは「伊藤見物」から満席になるものの、著書に書いてあることを、怒られたり眠くなり ながら聞くことはない、という「お客様」意識の生徒からは支持を失っていった。

 

(上記紫字部分はサイト「伊藤和夫の英語」より抜粋)

 

 

激怒する伊藤和夫氏(伊藤和夫著「ビジュアル英文解釈part1」より)

 

私は御茶ノ水にある駿台予備校に通っていたが、その時すでに伊藤和夫氏は亡くなっていたので授業を受けたことはない。

そもそも明治大学すら不合格の私が東大コースを担当するレベルの伊藤和夫氏の講義を受ける機会はなかっただろうが。

 

 

話を代ゼミの富田一彦氏に戻そう。

「試験勉強という名の知的冒険2 キミは何のために勉強するか」には次のような記載がある。

 

集団に適切な緊張と注目を与えながら、狙いを持って話を展開し、その中に相手の注意を完全に引っ張り込んで重要な結論を印象づける、という行為(「教える」ということは最低限そういう行為だ)には、それなりの才能と訓練がいる。

 

(上記紫字部分は「試験勉強という名の知的冒険2 キミは何のために勉強するか」p206より抜粋)

 

駿台・伊藤和夫氏の「教養講座」化や代ゼミ・富田一彦氏の指摘している問題は「予備校講師」や「学校の先生」のことである。

 

しかし「教えるのは難しい」「説明することは難しい」ということは何も予備校講師や学校の先生に限ったことではない。

 

実際にはこの「教えるのは難しい」「説明することは難しい」という残酷な事実を事実として捉えていない大人が一定数存在する。

 

「自分の説明でわからない相手が悪い」と頭から決めてかかっている頭が悪い大人が一定数存在する。

 

その大人が頭が悪い理由は「説明の仕方が悪い」からではなく「説明することは難しいことであり、説明している自分に落ち度がある可能性を全く考えてない」からである。

 

「説明することは難しい」問題は去年から今年にかけてこのブログで連打し続けているのだが、この歳(39歳)になった今、実は深刻なのではないかと思っているので連打している次第なのである。