昨日のブログ記事では「ブログは時代遅れ」「何を書いていいか分からない」「旅行写真を載せる記事ばかりになっている」など書きなぐった。

 

迷走中の公務員ブログであり、そして今回もまた旅行の話なのである。

 

8月最終週が夏休み(夏季休暇)であり、夏休みの一部を使って滋賀旅行をしたことは何度かブログ記事にしている。(一番下のリブログをご参照ください)

 

東京駅→米原駅(滋賀県)へ新幹線で行く。

ズボラクソ野郎の私だが、さすがに新幹線となれば発車時刻より前に余裕を持って東京駅に行くものである。

 

 

東京駅でぼーっとしていると駅にあるゴミ箱の中身を警備員(みたいな制服を着た人)さんがチェックしている。

「はて?昔はこんなことをしていただろうか?」と思う。

「いや、してましたよ」というかもしれないが、私が述べている昔とは1994年以前である。

 

1995年にオウム真理教がサリンを地下鉄にばらまいた。

この時、駅のゴミ箱が封鎖もしくは撤去されたと記憶している。(少なくとも首都圏では)

 

「ゴミ箱がなければ不便だ」ということだったのだろう。

ゴミ箱は復活したが、中が見える透明なものになってびっくりした。

そう、1994年までは駅のゴミ箱は透明ではなかったのだ。

少なくとも私は透明なゴミ箱なんぞ1994年まで見たことがなかった。

 

そしてゴミ箱を警備員(らしき制服を着た人)がチェックしているのも、おそらく1995年以降だろう。

そしてその呪縛が今でも続いている。

 

何しろ1994年までは駅のゴミ箱が危ないなんて誰も思ってなかったんだから。

 

 

1995年はやたらとマスコミが「安全神話の崩壊」とまくしたてた。

「地下鉄サリン事件」と「阪神・淡路大震災」が2大安全神話の崩壊であった。

国松警察庁長官狙撃事件」という警察庁のトップ(警「視」庁ではなく警「察」庁のトップ、つまり日本全体の警察のトップ)がガチで殺されそうになるという前代未聞の事件も安全神話の崩壊を象徴する事件であったはずだが、1995年当時は「オウム真理教の犯行」と考えられていた。(私個人としては国松警察庁長官狙撃事件も含めて3大安全神話崩壊事件・災害だと思うが)

 

現在建築物の「耐震構造」が騒がれるが、その原点は「阪神・淡路大震災」。

それまでは誰がいかほど「耐震構造」を気にしてただろうか?

 

「安全神話の崩壊」なんぞ言われても「神話」だったのは後になって騒ぐから神話なのであっていわば50%は「後の祭り」であるのも事実である。(残り50%は未来の防犯・防災として役立つが)

 

1980年代のバブル経済。

バブル経済の崩壊なんぞ言われてもこれまた同じであり、崩壊してから「あれはバブルだった」となる。

しかしこれとて「後の祭り」なのである。

 

こう考えると1990年代の日本は「後の祭り」の時代だったのかもしれない。