「バカにしているのか!」と怒る人がいますが、その人は大概バカにされています。怒る時に「バカにしているのか!」しか言えないレベルの人だからです。

 

上記は9月17日にツイッターにてツイートした事である。

今回の記事はこのツイートから話を展開したい。

 

人を叱る時や怒る時というのは難しい。

そもそも説明することが難しい。

説明することの難しさは去年の11月にブログ記事にしている。

 

 

「説明を理解してくれない」という悩みを聞くことがあるのだが、それは「説明が悪い可能性は本当にないのだろうか?」とも思う。

説明する側の問題なのか説明を受ける側の問題なのかどうかは話を聞いただけでは判断できない。

 

あまりに頭が悪い人が説明するのも困ってしまうが、インテリが説明するのも困ってしまう場合が多い。

こちとら(=私は)明治大学2年連続不合格人間なんだから、インテリ様の説明がよくわからないことも多いのである。

 

 

インテリ様の頭脳と私の頭脳が違うことを前提の上に説明してもらわないとコチラ(=私=バカ)はわからないのだ。

 

説明する側が「自分の説明が適切なのかどうか」を疑う必要があるのだ。

 

説教も同じである。

「やる気が無いのなら帰れ」では話にならない。

運動部の先輩で、他に語り得る何かを持たないのなら仕方がない。

まだ10代の若者ならば。

しかし運動部の指導者で「やる気が無いのなら帰れ」としか言えないのなら話にならない。

指導者なら他に語り得る何かを持たないといけない。

 

ウィトゲンシュタインと言う哲学者が「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」と言ったそうだ。

しかし今回のケースではそんな崇高なお話ではなく「まともなことを語り得ぬ」のは本人の努力不足である。

 

「やる気が無いのなら帰れ」と言うのは「そう言われても帰れない」という無根拠の強制力を基に発せられる言葉である。

その強制力を発しながら帰らずに残ると「お前は帰らない事に同意した」と言う根拠を指導者側に与えることになる。

 

ドラマ「白い巨塔」の医療過誤訴訟で弁護士が「強制的な同意書に何の意味があるのか?」と言った趣旨の事を言っていたが同じことだろう。

 

 

 

 

それで万が一帰ろうものなら「本当に帰るやつがいるか!」とキレる始末。

そもそも「やる気が無いのなら帰れ」自体の根拠が無根拠だから、逆ギレレベルのことしか言えないわけだ。

 

そもそも人間なんぞいつでもどこでもやる気を維持できるわけがないだろうが。

できるのら具体的なやり方を教えてみろ、って言う話だ。

できないのならできない事を前提に話をしてくれ、と。

 

職場でやる気がない人がいたらどうするのか?

本当に体調不良なら家に帰すべきだろう。

メンタル系でヤバそうなら専門家しか対応できないだろう。

通常のやる気のない状態ならば「やる気の出ない時はなるべくルーティン度が高い仕事をして、やる気が出てきた時に創造性の高い仕事をしなさい」と。

 

これは自分の仕事の例だが、職業ごとに言いようはあるし、運動部ごとに言いようはある訳で、それを考えなさいということだ。

 

さて最初の

 

「バカにしているのか」と怒っている人は大概バカにされている

 

も同じこと。

「バカにしているのか」と言って「はい、左様でございます」とは言えない訳だ。

もしそんなことを言えば火に油を注ぐだけで面倒になることを知っているから。

 

しかし怒っている時に「バカにしているのか」としか言えないのならまずは自分を疑ってみる方が先なのである。

 

説明や説教はまず自分のやり方が適切なのかを疑う必要がある。

相手を疑うよりも先に自分の方を疑うのだ。

 

今回の話を同じ厄介さを持つのが「根性論」である。

根性論の厄介さは2015年に「最初から精神論をばらまいてくる輩は誰に対して何を隠しているのか?」と言うブログ記事を書いているのでご参照ください。

 

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