宇沢弘文「経済学の考え方」の書評です。
1989年出版という大変古い本です。
しかし今でも十分に読む価値のある1冊です、本当に。
wikipediaの宇沢氏の項には「新古典派経済学」とありますが、宇沢氏は新古典派経済学を含めて反ケインズ派として本の後半ではかなり批判的に書きまくっています(フリードマン等もボロクソです)
私は経済学のど素人なので宇沢氏の経済学的スタンスは分からないのですが、宇沢氏の反ケインズ派に対する批判は賛同するかどうかは別にして現在でも読むに値するものだと思います。
となると80年代末から問題はあまり変わっていないということでしょうか。

経済学の考え方

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著者の宇沢氏


本の内容については私には理解できないところも結構ありましたが、それは著者の責任ではなく、私の経済学的知見の無さ及び数学気要素が出てくると発狂しそうになる頭脳レベルの低さに起因するものです。
そんなポンコツな私でも勉強になる部分はたくさんありました。
後半はかなり反ケインズ派をフルボッコにしていますが、本の内容全体で言えばちゃんと経済学の考え方を示した1冊です。

それでは気になる部分をピックアップしていきます。
そのままの引用ではなく、若干表現を変えている部分もあります。

<ピックアップ(太字・赤字は引用者)>

新古典派の理論にもとづけば、完全雇用、安定的な経済成長が正常な状態であるのに対して、ケインズ理論によれば、非自発的失業の大量発生、経済循環の不均衡状態が一般的な状態であるという。(p116)


ケインズ経済学を理解するためにもっとも重要な点は「一般理論」の背後にある企業観を明確に捉えること。
ケインズは、資本主義経済のなかで、中心的役割を担うのは私企業であると考えた。
私企業は、さまざまな生産要素を使って、なにをどれだけつくるかという生産の問題を、決定するだけではなく、新しい技術や製品の開発、投資の方向、性格を決定する。
それによって、資本主義社会経済における経済循環パターンを左右するだけでなく、経済の発展の方向を規定していくのが、私企業である。(p117)

総供給曲線と総需要曲線とは一点で交わる。
この水準に対応する国民総生産額が、有効需要である。
実際の経済活動の水準が有効需要に対応する水準に定まるというのがケインズの有効需要の理論である。
とくに、労働の全雇用量が、有効需要に対応する水準に決まってきて、必ずしも労働の供給量とは一致しない。
ここに非自発的失業の発生をみる要因が存在する
と言うのが「一般理論」の主要な結論の1つである。(p129)

ハロッドは均斉的な経済成長は極めて不安定な様相を呈し、現実の経済成長路線は、非自発的失業の長期的維持か、あるいは歯止めのないインフレーションの進行のいずれかであって、物価水準の安定をともなう完全雇用の状態は全く偶然の産物にすぎないということを示したのだ。(p161)

反ケインズ経済学は、合理主義の経済学、マネタリズム、合理期待的形成仮説、サプライド経済学など多様な形態をとっているが、その共通の特徴として、理論的前提条件の非現実性、政策的偏向、結論の反社会性をもち、いずれも市場構築の果たす役割に対する宗教的帰依をもつものである。(p189)

<ピックアップ終了>

小室直樹氏「経済学をめぐる巨匠たち」の内容について2013年1月3日記事「最後に残された余剰生産物③」にて触れています。

問題の急所を一言で表せば、供給が需要を決める(古典派)か、需要が供給を決める(ケインズ)か、である。(p87)

と小室氏は述べています。

さらに言えばこの記事では

古典派が「供給はそれ自身の需要を作る」(p87)と考える。
ケインズ派は「需要はそれ自身の供給を作る」(p87)と考える。


とか


補足すれば古典派の理論の根底は「セイの法則」なのだそうです。
「セイの法則」とは「一国の総需要は総供給に等しくなる」というもの。
「市場に供給されたものは必ず売れる」「モノを作れば作っただけ需要が生まれる」。
「局所的な供給過剰は自由な交易や、市場の価格メカニズムが働くことで解消される」と考えるそうです。


などとも書いています。
先ほどピックアップした箇所とも共通しますね。

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