日本陸軍は1928年に将軍用の作戦指揮マニュアル「統帥綱領」を改定した。

それまであった兵站(へいたん)、即ち補給の項目を削除した。

戦いは初動がすべて。

短期で敵を殲滅(せんめつ)して終わらせなければならない。

だから指揮官は補給のことを考えずともよい。

 しかし、もしも長引いたら?

「持たざる国」の日本が補給戦に持ち込まれたら勝ち目はない。

戦争の長期化は絶対にあってはならない。

したがって想定することもない。

 ところが日中戦争も日米戦争も泥沼化した。

 補給なき軍隊の兵士は至る所で病死し餓死した。



(中略)



 戦後日本はどうか?

「持たざる国」のエネルギーには原子力が一番。

大事故はありえぬから備える必要はなし。

そう信じた。

非常事態時の命令系統も法システムも不備。

兵站(へいたん)なき日本軍隊の精神とリーダーシップなき日本政治の伝統は8月15日を経てもそのままだったのではないか?


(「週刊エコノミスト 5月3日・10日合併号」闘論席・片山杜秀氏の文章より抜粋)


この国において「想定外」というのは2つの意味があるように思います。

1つは「本当に想定できなかった」ということ。

もう1つは「想定してはいけない事なので想定しなかった」ということ。

引用文章はもちろん、後者のことを指している訳です。


「ゲゲゲの女房」ではなく「ゲゲゲの旦那」さんである水木しげる氏はよく自分の戦争体験を漫画にしておられます。

出征中、森の中で自身が食うや食わずにてフラフラになっているシーンを書いておられますが、もし1928年の「陸軍綱領」改定がなされず補給についての記載が残っていれば水木氏はあんなひどい経験をしなくて済んだのかもしれません。


「短期決戦で勝つ」という作戦で行う以上「長期戦を想定した備えはしない」という発想。

いやしないという発想にとどまらず「長期戦に備えること自体が悪である」とすら言われかねない始末だったのかもしれません。

「長期戦に突入しそうになったらどうするのか?」を考えること自体がもはや悪であると。

もはや言霊信仰なのかもしれません。

「言葉にすればそれが実現してしまう。だから言葉にするな」と。

となると「長期戦に備えて~~~」なんて言おうものなら「日本が短期戦で勝てない可能性があるってことなのか!!!」と非難されかねない。

だから口をつぐむ。

いや、場合によっては「長期戦」について思考することすらやめてしまう。


戦争の終息方法はせいぜい外務省に「うまく考えておいてくれ」になってしまう。

かといって外務省は軍の作戦に関与できない。

いや陸軍大臣すら関与できないのだから。(陸軍の場合は陸軍大臣ではなく参謀総長の管轄)

結局、誰が責任者なのか良く分からない。

明治時代のように全体を俯瞰(ふかん)し適切な指示を出せる元老はいない。

元老の代わりの置かれた重臣達は「元首相だ」というだけのポンコツだらけで元老の代わりなんてなりようがない。

独裁者のように言われる東条英機首相・陸軍大臣すら軍の作戦の情報を把握できなかった。

彼は参謀総長ではなかったため陸軍軍の作戦に関与できなかったからだ。(統帥権の独立

よって参謀総長を辞めさせ自ら兼任。海軍大臣にも軍令部総長という軍の作戦責任者を兼任させることによって何とか強力な指導力を発揮しようした(というか情報を把握できないのだから話にならないのだが)が、兼任が不興を買い、戦況の悪化に伴い本来はポンコツの集まりに過ぎないはずの重臣たちに総辞職に追い込まれる。


独裁者のように言われた東条だが、総理と陸軍大事を兼任しても専門外の海軍は仕方ないとしても陸軍についての作戦や戦況を「統帥権の独立」を盾に教えてもらえない。

いくらなんでも「それじゃ戦争指導も何もない」と陸軍作戦担当のトップ・参謀総長を兼任し、海軍大臣にも海軍作戦担当トップの軍令部総長を兼任させる。

今まで散々陸軍が「統帥権の独立」を盾に時の政府を揺さぶってきた経緯があるとは言え、「非常時だから権力集中(というかそもそもは情報の一元化を含むのだろうが)した方がいいよね」という発想にはならず、「東条幕府」と陰口をたたかれ、挙句の果てにポンコツ集団の重臣に倒閣されてしまう。

戦後は大日本帝国憲法下において総理の権限が異様に小さい(統帥権の独立のために軍の作戦に関与できない。ひどい場合は状況すら教えてもらえない。各大臣も総理が実質選ぶが、天皇に任命されるため、総理と意見が一致しなくても罷免できず、本人が辞任しない限り内閣不一致で内閣が倒れる)ことを反省。

日本国憲法では民主主義である半面、国会から選出された総理には法的に強い権限を与えました。

しかしながら、戦後の歴代総理が「リーダーシップの欠如」を指摘されるケースが多いことを見ると、制度上の問題というよりも日本人のメンタリティの問題と言った方が良いのかもしれません。

引用の最後の部分にある「リーダーなき日本政治の伝統」とはこのようなことを指しているのでしょう。


ちなみに東条内閣を倒したポンコツ重臣集団がポンコツぶりをその後に発揮します。

重臣の大きな仕事は総理の選定(最終的にに任命するのは天皇ですが)です。

東条の次に総理になったのは小磯国昭という人物ですが、この選定の過程がひどすぎます。

wikipediaからの引用。


アメリカ軍が本土に迫り風雲急を告げるとき、後継首班の選出はあまりにも安易なものだった。東條英機を退陣させることで重臣の意見が一致し、東条内閣を倒閣した後の後任選びとして、南方軍司令官の寺内寿一と小磯の2人に絞られ、前線指揮官の寺内は動かせないということで、朝鮮総督だった小磯に落ち着いた。重臣達は東条内閣を倒すことのみに目が向いて後任として誰を擁立するかを考えていなかったとされ、「陸軍大将を任官年次の古い順に見ていって適当な人物を捜すという総理大臣を推薦するのか何を推薦するのかわからんようなことをやって」(若槻礼次郎の回想)、小磯が登場したという。


海軍の重鎮にて元総理の米内光政という人物(日独伊三国同盟に反対し良識派と思われていた)と異例の連立という形を取るが、あくまで総理は小磯であり前代未聞の奇策である連立は空回り。

所詮訳の分らぬ方法で選んだ総理に国難に対処することができる訳もなくただ時間を浪費するだけになってしまった。

このくだりを見てもやはり今の政治のデジャブかと。

野党でも、そして与党内反主流派でも「菅総理が悪い」と言うがそのあとどうするのか分からない。

誰を総理にしたいのか(谷垣自民党総裁?)分からない。

菅内閣が倒れれば「何がどう良くなるのか」「何をどう改善したいのか」分からないし、具体的な説明もしない。

これではポンコツ重臣集団と何も変わらない。

総理にリーダーシップがないというのなら、倒閣運動をする人たちもリーダーシップも責任もない状況です。


さて最初の「想定外」、しかも「想定してはいけない事なので想定しなかった」方の「想定外」に話を戻します。

原発もこのパターンの「想定外」にてずっと計画が進んできたわけですね。

大事故が起こる訳がない。

だから大事故が起こることは想定しない。

大事故が起こることを前提とした対処は行わない。

大事故が起こった場合への対処をすると「大事故が起こる可能性があるのか?やっぱり原発は危険なんじゃないか!とっとと止めろ!」となってしまいます。

よって大事故が起こることを前提とした対処を行うことは許されない訳です。


もちろん、放射能というとてつもなく恐ろしいものであるから事故は絶対に許されるものではありません。

よって事故を防ぐため最大限の努力及び具体的な対処を行うことは当然です。

しかしながら「世の中に絶対はない」というのも事実です。

9.11テロが起こるまで、あんな方法は世界中で「本当に想定できなかった」という意味での想定外です。

隕石だって落ちてくるかもしれませんし、宇宙人が攻撃してくるかもしれません。(なんていうと大槻教授はマジギレしそうですが)

よってやはり大事故に対しての準備をしなければならないし、することを内部の人間も外部の人間も許さなければなりません。

いや、許すどころかちゃんと評価しないといけません。

どのように速やかに避難するのかとか即座に放射能放出量やどこに放射能が行くのかという予測を公開するルールを作っておくなどはできたはずです。

しかし実際は全く逆でメルトダウンを起こしたことすら2カ月経ってから公開するという始末。

これにより日本政府・東電の発表に対する国内外の信用も完全にメルトダウン。


しかもこのような<<<最悪の>>>状況になってしまったのは反原発派(反原発利権「=反原発を唱えることによって政治的利益を得るなどの人たち」を除く純粋な反原発派)にとっては本当にこの上なく悲劇的なパラドックスだったのかも知れません。

と言うのも反原発の言うことが的を射ていてそして力を持つほど、原発推進派が従来通りに計画を進めながらも「想定してはいけない事なので想定しなかった」という意味での「想定外」の殻に閉じこもってしまったからです。

大事故に対しての対処をして「え?やっぱり大事故が起こる可能性があるんですね。やっぱり危険なんですね。じゃ、原発をやめなさい」と言われることを恐れてしまった。

「短期決戦しかありえない」と言って補給を考えなくなってしまった陸軍と同じです。

よって大事故が起こったときにまともな対応ができない。

情報公開すらグダグダ。


国民性というのはなかなか変わらないものです。

陸軍や東電に限らず私たちの周りの多くが同じような状況なのかもしれません。

制度を変えることはできても国民のメンタリティから生じる(悪い)現象を変えるのは難しい訳ですね。



(この記事は5月29日に書いたものです)