「もう一回!」

 

 狭い部屋に、高い声が響く。

 新しい学習机。ピカピカの赤いランドセル。薄ピンクのベッドには、今日行ってきたテーマパークで買ったウサギのぬいぐるみ。

 

「お兄ちゃん、強すぎるよー!」

「紅音(あかね)。もうそろそろ時間がね……」

「えー」

 

 時刻は夜の八時になるところ。

 今日は鈴音と忍が鈴音の妹・紅音を連れ、三人で出かけ、送り届けた流れで夕食をともにし、紅音がはまっているというオセロの勝負を持ちかけられ、忍が三戦目を終えたところだが……。

 

「鈴音。俺は構わないよ」

 

 ただでさえ忙しい忍が丸一日付き合ってくれただけでありがたいのに、これじゃあまるで残業させているようだと鈴音は申し訳なくなる。

 

「でも」

「やったあ」

 

 そんな姉の気持ちなど当然知る由もなく、紅音は両手を上げ、無邪気に喜んだ。

 

 その後、ふたりがマンションに着いたのは夜十時。

 鈴音は上着を脱いで、苦笑する。

 

「紅音が寝落ちするなんて相当ですよ。よっぽど楽しかったんだと思います」

「そうか」

「私も楽しかった」

 

 鈴音ははじめ、ひとりで紅音と遊ぶ予定だった。しかし、忍が休みを取れたから、と今回のようなスケジュールに変更し、紅音がずっと行きたがっていたテーマパークにまで連れて行ってくれた。

 鈴音も実は初めて足を踏み入れたこともあって、紅音に負けないほど楽しんだのだ。

 鈴音は、思い出したように、くすりと笑う。

 

「それにしても、忍さんってば絶叫系苦手だなんて……意外で」

 

 こらえきれず、言い終えた後も「ふふっ」と笑いを零す。

 

「怖いっていうより、疲れるんだよ、ああいうのは。それに、そもそも遊園地にはほとんど行ったことなんてないからな」

 

 忍は少しすねたように返し、ソファに腰を下ろした。

 鈴音は忍の返答を聞き、間を置いてぽつりと言う。

 

「あ……そうだったんですか」

 

 今では忍の家庭環境について、ざっとだが知っているつもりだ。

 家族団らんをするようなイメージはない。テーマパークどころか、買い物だって家族で出かけたことはないのかもしれない。

 鈴音が、配慮に欠けていたと後悔していたら、忍に手招きされる。おずおずと彼の元へ向かうと、手首を握られた。

 

「そんな顔しなくていい。小さいころに行ったところで、今日のような充実感はなかったさ。いままで、なぜあんなにも人気があるのかわからずにいたが、ちょっと理解できた」

「それなら……よかったです」

 

 忍は気を遣って言っているのではない。そう感じるのは本当だけれど、鈴音はまだ自分の失言で傷つけてしまって落ち込んだ気持ちが晴れない。

 忍は鈴音の気持ちを汲んで、くいっと手を引っ張って自分の膝の上に座らせ、後ろから抱き留めた。

 

「鈴音が席を外しているときに紅音にぬいぐるみを買ってあげたとき、近くの人に言われた」

「え? なんて……?」

 

 鈴音は忍の上に乗っている体勢にどぎまぎとしつつも、忍の言葉の先も気になった。顔を半分振り向かせると同時に、忍が言う。

 

「〝お父さん優しいね〟……と」

 

 想像もしない答えに、鈴音は軽くパニックになる。

 確かに、年齢的には子供がいてもおかしくはないかもしれないけれど、これまで独身だった彼にとって、そんな言葉は心外だったに違いない。

 

「ご、ごめんなさい。そんなこと……」

「謝る必要はない。俺はそのとき思ったんだ」

 

 鈴音が謝ると、忍は言下に声をかぶせた。

 そして、とても柔らかく瞳を細め、鈴音の頬を撫でる。

 

「鈴音と俺たちの子と、三人で――また、ここに来たい、と」

 

 微笑を浮かべる忍から、鈴音は目を離せない。

 鈴音は忍と結婚できて、それだけで幸せなことだ、とあえてこの先のことを考えないようにしていた。

 考えれば、どんどん強欲になってしまいそうだったから。

 だけど、忍のほうから自然と自分たちの未来への希望が聞けて、涙があふれる。

 

「……はい」

 

 鈴音は目じりに光る粒を拭って、笑顔を咲かせた。

 忍もまた、幸福そうな表情を鈴音に向ける。それから、どちらからともなく、唇を寄せた。

 数秒後、距離を戻し、忍が「ああ」と何かに気づき、笑った。

 

「いや、三人ではなく四人か。また、紅音も一緒に」

 

 鈴音は忍の言葉に目を丸くし、愛しさが零れ落ち、思わず忍に抱きついた。

 

 

 

おわり