鬱病の寛解の理由を自分なりに考えてみれば、薬の変化も大きかったですが、やはり環境の変化が一番大きかったと思います。薬は、カリフォルニアロケット療法で一気に効き目が現れた感覚ですが、その裏には薬以上の効果をもたらした環境の変化がありました。
  有り体に言えば、私は逃げたのです。
  やはりやりがいのある、第一線の仕事というのは、プレッシャーとは無縁ではありえません。そこから逃げて、プレッシャーが消えたことが、私を取り巻く環境を激変させ、鬱病の地獄に垂れ下がってきた一本の蜘蛛の糸をつたって登るきっかけを作ってくれたと思います。
  最近、逃げる事は悪ではない、という趣旨の本が相次いで出ています。それだけ、追い詰められている人が多い証左でしょう。私などは甘いと言われるようなブラック企業で働かされている人は少なくありません。しかし、日本だけではないと思いますが、やはり目の前のプレッシャーから逃げる事は決してカッコいいことではありませんし、評価されることでもありません。逆に言えば、逃げる事で評価はやはり下がりますし、その後の出世もありえません。それが分かっているからこそ、みんな容易に逃げられないのです。
  私は逃げた事で仕事のプレッシャーから見事に解放されました。そして鬱病地獄から逃げ出すチャンスをうまくとらえ、15年もの間とりついていた鬱から逃れることができたのです。でも、その分、逃げたということが後ろめたい気持ちとして今でも心の傷として深く残っていますし、自信を、自尊心を失わせる結果となっています。
  そんな人間はやはりどこか欠陥、と言っては間違いでしょうが、魅力に欠ける部分があるようで、逃げて以降、異性との付き合いは全くうまくいっていません。異性はそういう部分にはすごく敏感ですから、私の逃げた心の影をなんとなく本能的に嗅ぎ取っているのでしょう。だから、また一線で活躍したい、という気持ちがむくむくと持ち上がる瞬間もあります。もちろん、できませんけどね。気力、体力ともにもう無理ですから。
  プレッシャーから解放されて、いい部分、悪い部分、それぞれ書き記しましたが、基本的には逃げていいと思います。でも、逃げるとそれだけのマイナスの報酬もありますよ、ということを書き残したかったので、つらつらと綴りました。