奈良県生駒郡斑鳩町にある 藤ノ木古墳。1985年~2006年にかけて6次にわたる発掘調査が行われ、金銅製の馬具や装身具類、刀剣類など豪華な副葬品や二体の人骨が出土した。  人骨は、人類学者によって二人共男性とされている。
 こうした知見を元にして、考古学者の白石太一郎氏等は、二人の被葬者を聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている。墓誌銘もないわが国の古墳で、被葬者名が取りざたされること自体が珍しく、注目の古墳だったわけである。
に加えて、古墳時代装身具の研究者から、新たな見解が提出され、面白い展開となっている。 
 奈良芸術短期大学 玉城一枝さんの「藤ノ木古墳男女合葬説」である。
長くなるが、「トンボの眼」 No.18 2010年2・3・4月号に掲載された、論考の抜粋を紹介する。なお、転載・引用にあたっては雑誌編集者佐々木さまおよび、筆者の玉城様から、許可を頂いた。記して謝意を述べたい。

玉城一枝 「藤ノ木古墳男女合葬説」

「、、略、、 同様のことは考古学の関連分野でもじゅうぶんに起こりうる。 旧石器遺跡捏造事件の発覚を遅らせることにもつながった当該石器への「ナウマン象の脂肪酸付着」という誤った結果は分析者側の問題が大きかったにしても、愛媛県上黒岩遺跡(縄文早期)出土の骨器の刺さった人骨が「ヤリで刺殺された男性」から「死後?に何度か刺された女性」へと変転したことや、古墳時代の女性権力者の確かな事例として必ず引合いに出される熊本県向野田古墳で発見された保存良好な女性人骨の出産経験の有無が、なぜか二転三転していることなども考古学研究者を混乱させている。古代の風習や権力者の性格付けの拠所となるべき「事実」が揺らぐ現状は深刻である。
、、、略、、 そのひとつに藤ノ木古墳被葬者の性別問題も加えるべきであろう。人類学者による性判定の見解が示されてもなお決着したわけではないという思いを筆者は強くいだいている。

 藤ノ木古墳の未盗掘の家形石棺から二体の人骨が確認された1988年当初、考古学関係者のあいだでは、男女合葬との見方が大勢を占めていた。人骨鑑定に携わった人類学者は、北側被葬者に関しては早くから20歳前後で身長164~5センチ程度の男性とし、歯牙の調査所見においても整合性が認められている。一方、極めて保存状態が悪い南側被葬者について「性別不明の成人」とする見解がとってこられた。ところが93年に公刊された正式報告書では、「北側被葬者ほどの長身ではないにしても、南側被葬者も男性の可能性が高い」との最終結論が示されている。 、、  略、、、、、、 藤ノ木古墳の南側被葬者は本当に男性で、「高位の男性の二体同棺埋葬」とみなしてよいのだろうか。とはいっても、考古学の状況証拠による反論では、一般的な先入観も災いして、実際の人骨を調査した学者による結論には到底太刀打ちできないだろう。
 しかし、南側被葬者男性説の根拠が説得力に欠けるものであれば話は別である。X線撮影や理化学的方法による検査も不可能であったという、極めて遺存状態の悪い南側被葬者の性判定は足骨に頼らざるをえなかった。南側被葬者の足骨(距骨と踵骨)の計測値から男性の可能性が高いとされたが、比較すべき同時代の人骨資料が乏しい現状にあっては、データが豊富な「近畿現代人」(明治時代前半に近畿地方で出生した日本人で、男性の平均身長155.8センチ)をやむなく比較検討資料とせざるを得なかったようだ。古墳時代の男性の平均身長はデータにバラつきはあるものの、総じて160センチを超えるものばかりであり、足の各部位のサイズも「近畿現代人」より相対的に大きい傾向にあったのではないかと想像される。門外漢ながら、これでは統計学的見地からも妥当な結果を得ることができないのではないかという危惧をいだいてしまう。
 このような点を鑑みれば、考古資料としての南側被葬者は性別不明として扱うことが適切であろう。
 筆者はかねてより装身具と性差の関係に注目してきた。藤ノ木古墳の二人の被葬者の装身具を比較してみると、北側被葬者の頭部付近は玉簾状の華麗な被り物を始め、銀製垂飾銀金具、銀製鍍金空玉などの四連の頸飾り、銀製剣菱形飾り金具、耳環などできらびやかに飾られていた。
 一方、南側被葬者の首から上は一連の銀製空玉と耳環のみで、北側被葬者が主たる埋葬者であることは明白である。ところが、南側被葬者だけが葡萄の巨峰を思わせる大きなブルーのガラス玉を両足首に各9個、淡いブルーの棗玉10個を左手首にに着装させていたのである。 未盗掘で遺物の残りが良好であることを考えれば、被葬者の装身具のあり方は葬送時の姿をよくとどめているとみるべきで、手玉・足玉を北側被葬者には着装させなかった点は注意されてよい。二人とも男性だとすれば、同じ種類の装身具では明らかに優位にある北側の男性に、南側被葬者よりさらに立派な手玉・足玉を着装させて然るべきであろう。しかし、これを装身具に現れた性差としてみれば、そのような疑問は氷解するのである。
 足玉の確実な実物資料は島根県上島古墳などわずかな例にとどまるが、『古事記』や『日本書紀』などにみる風俗、人物埴輪のあり方などから、足玉は高位の女性の装身具に限定できるのである。さらに男女共通にみられる釧に対して、手玉は女性埴輪のみに限られる点も注目される。つまり、考古資料からみる限り、手玉・足玉をもつ南側被葬者は限りなく女性的だと言わざるを得ないのである。
 歴史の復元において、自然科学の方法はこれからもますます求められていくだろう。しかし、自然科学の成果を無批判に受け容れるべきではない。また、自然科学で明らかにされた「事実」が「真実」に近づくためには、一人の研究者や一つの機関によるのではなく、同じ分野の多くの研究者によって鍛えられる過程を経て鑑定結果が示されるべきであり、そのような環境づくりが急務であろう。そろそろ自然科学とのかかわり方を根本から見直すべき時にきているのではないだろうか。」 (「トンボの眼」 No.18 2010年2・3・4月号から抜粋)
 
 とても、面白い、考えさせられる、意見ではないですか!玉城さんの提言に関して、関係する研究者達がどのような反応をしているのか、学会という世界から遠く離れた、momo-fukuさんには、知りようがないが、おそらく賛否なしの、傍観者が大多数なんだろうねえ!
 白石先生は、その点、誠実に対応したようだ。つまり、人類学者の所見と、玉城さんの考古学的所見を、両方活かして、
なんと、南側被葬者を、女装した男性かもと、アウフヘーベン!
 いや、ますます面白い展開になってきましたよ、、

以下、次回のブログに続く、、、