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文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

霊が来ておれを相手に話したがるんだ。せっかくだから書き取ることにした。巻の名前は「中宮覚子」にしようか。さあ、なあ、話してくれよ。

 

 

聞き書き士が書き取った「中宮覚子というあり得ない物語」

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やはり、中宮様とお呼びしたく思います。ですが。そればっかりはできませんね。あのお方様の、誇りも行いも、意地と言えるものもすべて台無しにしてしまいますから。ですが。中宮様。どんなにかわたしがその御名をお呼びしたかったでしょうか。もう、どうすることもできません。なのでつい、さとる子さまとお呼びしましょう。

さとる子さまがお生まれになったとき、大殿様のお喜びようは、それは言うまでもありませんね。摂関家待望の姫君でしたから。私は、7つの時から右大臣家の使い物としてあがっておりましたが、さとる子さまがお生まれになったときは私の母も妹を生んでおりました。ですので、乳母を拝領したわけですね。行きがかり上わたしもさとる子さまのお傍に使えることになりました。入内をなさる、13歳の冬の朝までですがね。

藤原摂関家のご長女、押しも押されぬとはこのことでしょう。春宮様の後宮に入られた時は、誰もがのちの中宮様と、疑わなかったことです。現に大殿様あてのご祝儀の中には、わざわざま中宮様と墨書きしたものまでありました。大殿様はその雑多な品物を、すべて我々小使いに下げてくださったので分かったのです。中宮様、としたためられたものを下に投げてしまわれた。今になってそれを、大変不吉なことだったと感じます。

春宮さまが今上にお立ちになり、ついでさとる子さまが一宮さまをお生みになったときには、わたしを始め摂関家の将来はこれで安泰、と、思わないものは居ませんでした。

言いましたように、押しも押されぬ大臣の御長姫、第一の御子の母君です。主上もことのほかの誠意を尽くしてくれるというのが筋。筋と誰もが思っていましたよ。

思うことは成らず、知ることぞ成る、とはいったい誰の言葉だったでしょう。さとる子さまの安寧を、摂関系の行く末を、こうまで覆してしまう出来事があるとは。誰が考えたでしょうか。

わたしは、今でも夢に影が立つのです。そう、霊としてうつつをさまよっている今でも、夢にうなされるものなのですよ。13歳の芳貌のお姿の時、私はこっそりわたりどの隙間からお出でになるところを見ていました。泣いていらっしゃいました。これから位人身を極めるという方が、どうして泣いていらっしゃるのか。

私にはその意味が、想われた。想われて、仕方がなかったんです。美しい、白い玉のほほの上に、さらに光り集めた涙が一筋かよっておりました。

その一滴の珠玉を見たとき、ああ、わたしの生涯はこれでよろしい。これほどまでに美しいものを目の当たりにした。もうこれでいい。このうえは、ただこのお方の好運のみを願って生きよう。そう想っていたのです。

そう、私は願っていました。さとる子さまが中宮として立たれる日を。帝の寵がよそにずれたといわれた時も、その寵壺が第二の御子を生んだと聞いた時も、二宮さまを次の春宮にという話を聞いた時も。いつもいつも願っていました。

ですが、さとる子さまがわたしを弘徽殿にお呼びになったときは、は、となりましたね。どうやって、あのお方の矜持を損ねずに、使いのわっこを返すかに頭を取られたのであって。そう、私はさとる子さまのお誘いには答えられなかったのですから。ええそうですとも。何をお考えか私にはよく分かっていました。

私はその時着ていたものをすべて脱ぎ、まげの紐も解いて烏帽子に結び付け、「この紐だけ残してあとはお焼きください」。そう言ってわっこに与えて返しました。

ほどなくして一宮さまが春宮にお立ちになりましたが、帝がさとる子さまを顧みされることはついにありませんでした。それどころか帝がお隠れになり春宮さまが今上となられたのちは、さとる子さまと大殿様は垂簾朝政とののしられました。私は、ほとんど憤死しました。憤死もいとわぬ心でした。あんなにご立派な一宮さまをして。どうしてそんな口をきけたでしょうか。悔しかった。あらゆることが疎ましく、憎く思われました。

中宮様。わたしの中宮様。

霊になった私にはすでにまなこはありません。ですが、わたしには確かに見えるのですよ。御ご正装にきらめく平額をまとったお姿がね。霞の上を重々しく歩くような絵巻物が。わたしの前にいつでも画面を広げてくれるのです。

話がそれますが、男子の誠意というのはね、この金棒を切り落として差し上げるということじゃないでしょうか。わたしは捧げましたよ。我が生に一人のおんなも知りません。ただ、ただ、あのお方のために。

だからわたしはあの寵壺が生んだ御子さまが憎い。さとる子さまが表立って憎めない以上、私が代わって。どんなにも憎んで差し上げたい。いや、実際憎んでいましたとも。

わたしの怨嗟の情がかなった日、さとる子さまの生き姿が私の軒先に立ったのです。

 

つづく