バックミラーを見たら後ろで信号待ちをしている軽トラのおっさんがハゲだった。だからじゃないけど。
もう二度と食べられないものがある人生は幸福だ。だれがなんといおうと幸福だ。私は口いっぱいにやわわわ、となる塩味を想って。恋をしているみたいだった。
卵の海漬けは彼が食べさせてくれた。私は小学生で、夏だった。臨海学校だ。迷惑極まりない行事。
世界もわれわれに気を遣って満ちたり欠けたりしてほしいものだ、とぶうたれて、落ちていた木の枝を拾い、落ちている石ころけっとばし、私は波打ち際の岩場を隠れて歩いた。
彼は潮溜まりから何か拾っていた。彼に気付いたとき彼も私には気がついた。
「食べる?」
と聞かれて
「食べない」
と言った。
「そ」
むべなく彼は潮溜まりの中から卵を拾い上げていた。
興味は引かれた。興味。
「なに、それ」
「たまご茹でてさ、こうして浸しとくんだ。誰にも言うなよ」
「なんで」
最後だから。かれは、片膝を立てるようにしゃがんだ足元に、ふと、力の無い手を垂れた。
「もう、ここで最後なんだ。こんなにきれいに潮が溜まる場所は。もう無い。変わってしまう」
「なにが」
彼は答えなかった。ただ、喰う?とひとつくれた。
「今度は山に行こうかな。山にも潮はあるからな」
「へ?」
「しおは、いるんだ。動物園だって塩分がなけりゃ生きていけない。同じだよ。みんな。死ぬんだ。同じだよ」
そういってひとつくれたのだった。つらるりとした、潮に染まったたまご。
殻を向いて無心に食べたのだった。海と涙の違いを私はその時知った。あまいかからいかの違いなのだ。