日本近現代文学ノート

日本の近代~現代の短編作品について

①作品名

②発表時期・発表媒体

③作者略歴

④あらすじ

⑤同時代評

⑥感想・視点

を中心に公開していく予定です。



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吉田修一の作品

私は吉田修一のファンなんですが、この1年ほど吉田氏の作品を読んでいなかったんで、

お盆休みにこれまで積ん読状態になっていた作品を全て読みました。

どれも楽しく読めたんですが、個人的な好みの順で言うと、

1「ひなた」

2「ランドマーク」

3「長崎乱楽坂」

4「初恋温泉」

5「女たちは二度遊ぶ」

6「7月24日通り」


という感じでした。『ひなた』は山本賞受賞作である『パレード』とスタイルは同様ですね。あまり本のオビに書いてあることを信用しない私ですが、「さらけださない人間関係」というオビの一文は、わりと『ひなた』という作品の性格を言い当てているように思いました。技量というようなことであれば、お盆休みに読んだ中では、これが一番技量を感じさせるものでした。

『ランドマーク』は後述します。


『長崎乱楽坂』は、吉田氏流の『千年の愉楽』的世界ですね。個人的に私は、吉田氏は中上の描いた世界を受け継ごうとしているようにも思えるんですが、中上の場合、それが謂わば「血」そのものによって書かれているような凄みがあるんですけど、吉田氏にはそれがないところから書き始めなきゃならんわけで、大変苦労して書き上げたんじゃないだろうかと思っています。オリュウノオバのような語り手を、吉田氏はあらかじめ設定できないというようなことがこの作品を書くときの困難ではなかったろうか、などといい加減な感想を持っています。


『初恋温泉』は、個人的に二番目の作品が一番好きなんですが、困ったことにこれが一番通俗的ではないかなぁなどと思いもするわけで…。作品の価値と、その作品を好むことは一致しないのが当然なんですけどね…


『女たちは二度遊ぶ』は、吉田氏らしいっちゃらしいんですけど、そんなにうまく女性が描けているようには感じられませんでした。吉田氏は、女性を描くのが実は苦手だろうと私は思っています。だからこそ、『最後の息子』のように、オカマを通すことで「女」のリアルが浮かび上がるような仕掛けを開発したんだろうと思ってます(当たってるかどうかは自信ありません…)。正面から女性を描こうとする時、きっと吉田氏の女性って紋切り型になるって感じてるのは私だけ、なのでしょうか…。


『7月24日通り』は恋愛小説なんですけど、『東京湾景』よりずっと良い作品なんじゃないかと思います。しかし先述したように、正面から女性描く時の吉田氏の作品って、私にはどうしても…。それでも色んなところに仕掛けがあって、面白いとは思うんですよね。うまいと素直に思いますし。けど、「女」をみせるためにこそ、装置なり仕掛けなりを工夫してもらいたかったというのはあります。


さて、『ランドマーク』ですが、これは好き嫌いという事以前に、吉田氏の作品で非常に重要なものではないかという気がします。

吉田修一という作家の、方法意識の頂点ではないかと思えるのです。今それをうまく言う術も自信もないので、こういうことを考えたきっかけのようなことを箇条書きするとすれば、


・吉田氏には2つの傾向(土俗的傾向と、都市的傾向)があるが、『ランドマーク』ではそれを、大宮に建設中のスパイラルビルを主な舞台として、ぎりぎりのところまで接近させている。(土俗的傾向には、「貞操帯」までつけて、接近させている(?))


・スパイラルビルが、構造上のちょっとした問題で、ゆっくりと倒壊するのと同じように、この作品はあらかじめ破綻することが吉田氏にとっては周知のことだったのではないかということ。つまり、2つの傾向を接続させられるギリギリのところまで吉田氏は主人公2人を持っていくが、それは夢想されるスパイラルビルの倒壊に象徴されるように、はじめからこの2つの傾向を繋ぐことは不可能だという意識のもと、あえて書かれたのではないかということ。そしてそれを回収する手段が、まるで中上の『地の果て 至上の時』のように、中年の出稼ぎ労働者の首吊り自殺という流れであったのではないかということ。


こんなことを考えさせたことが、まぁ私にとって、この作品は非常に重要だと思わせた理由なんですが、まとまってませんね(汗

機会があればきちんと論じてみたいものです…


最近購入した本

久し振りに大型書店へ出向き、杉田俊介さんの『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)という本を買ってきました。


これまでにもいわゆる「フリーター」についての論はいくつもあったと思いますが、この本は他のフリーター論とは趣きが異なっているようです。何がどのように違うのか、説明できるほどしっかりとまだ読み込んでいるわけではないのですが、このフリーター論はかなり原理的なものではないかと思っています。対象とされているフリーターとの距離のとり方を、少しでも間違ってしまうとこういったフリーター論は多分できなかったんじゃないかと思います。


しかし、このフリーター論の最大の難点もまた、その距離のとり方から生まれてしまわざるを得なかったんじゃないだろうかとも思います。それは氏の議論が、いつまでたっても問題もしくは視点が開かれっぱなし、分解されっぱなしの状態に見てとることができるはずです。そしてそこから読み手へ手渡される言葉が、いわゆる一つの事柄について、矛盾した行為を同時に要求するような言葉にしかなりえない…こういったところが、ある意味欠点なのではないかとも思えるわけです。


これは無論、フリーターというものをまともに見ようとすれば、どうしてもそうならざるを得ない欠点です。その欠点は、当の氏が一番良く理解しているはずだと思います(私の読後感が正しいとすれば、ですが…)。

氏が今後、この書で展開した議論にどう決着をつけるのか、やや楽しみです。



それにしても最近、まともに小説について読んだり考えたりしていません。このブログでは、次回は正宗白鳥について何か書いておきたいのですが、まるで時間がありません。なんだかまともにブログが機能してない…ブログの方向性を改めようかと考えている今日このごろ・・・





土日の文学番組

土曜深夜に韓国における日本文学の出版状況を巡る番組がありました。


何でも現在、韓国では若い人を中心に日本の文学が人気らしいのです。

日に一冊というペースで、韓国に日本の現代文学が翻訳され、出版されているそうです。

人気の秘密はいわゆる「軽さ」なのだそうでして。


私は韓国文学については全くの無知なのですが、韓国の純文学というのは、政治的・思想的なものが強いらしい。まぁ、日本でいうなら戦後派の文学、プロレタリア文学のようなものの影響力が大きいのだってことでしょうか。韓国のそういった文学は、日本の場合と同様、民主化に最も強い影響を与えたものとして、これまであったらしい。


ところが、若い世代の人達には、そういった民族の誇りでもあったそういった文学に共感できなくなった。

一言で言えば重たい、実感にそぐわないということなのでしょう。


そこへ、現代の日本の文学…つまり、恋愛や不倫、個人的な悩みを描いているようにも見える、政治や思想といったことから見れば軽いテーマを扱う日本の文学に、韓国の若い世代の人が共感して、ある種のブームになっている…ということらしいのです。


日本のアニメや漫画の影響を受けてネットから小説家になったという女性作家の話も出てきました。その人の書く作品は政治的な色彩の殆どない、いってみれば日本の現在の文学のような性質を強く持っているのだそうです。


で、村上春樹や吉本ばなな、江國香織といった作家は韓国では日本文学の巨匠…らしい。確かに彼らはメジャーな作家ではありますが、曲がりなりにも文学好きな私としては「え? こいつら巨匠でも何でもないだろ? つか、いまだに『巨匠』なんて言葉が生きてたのか?」という感じでした。


まぁ、そんなことはどうでも良いのですが、私がその番組を見て、ふと思ったことは、なんだか日本の文学の歩みと似ているかも、ということでした。日本も戦後の混乱期には、戦後派のような政治的・思想的な作家が活躍しました。そうして時代が安定してくるに従って(?)、戦後派のような重たい文学は忘れられて、代わりにごく軽そうにも見えるテーマを扱った文学が活躍しはじめたはずです。


そして、今韓国はちょうど、日本の文学にあった転換期にさしかかっているのかもしれない。と、そんなふうに思ったりしたのでした。

網野菊についての、いい加減な感想

最近、何も書いてないままなので、気のむくままに近代の作家への簡単な感想でも書くことにしました。

色々考えた末、網野菊についてでもちょっと書いておこうかと思います。


網野菊は志賀直哉の弟子の一人だった人です。いわゆる私小説を数多く残しています。マイナーな作家なので、知らない人も多いとは思います(講談社文芸文庫に入っているので、興味のある方は読んでみてください。もっとも講談社文芸文庫は、絶版にしないと謳っておきながら、その多くを品切れのままにしている=ほぼ絶版みたいなもの、なんで、なかなか手に入らないかもしれませんが…)。


私は私小説というものがわりと好きなのですが、いざ論じようとなると、どうもうまく述べられた試しがありません。なぜって聞かれると困ってしまうのですが、あえて言えば、それは私の読み癖みたいなもの、考え方の癖というものが関係しているんだろうと思います。


で、その癖のついた読み方、考え方のままだと、ちっともうまく論じたり考えたりすることのできない作品というのが、私にとっては網野菊という作家の作品なのです。


ですから、網野菊のそれぞれの作品について、何事かを述べることは私にはできません。しかしひどい読み癖や考え癖があっても、いくつか作品に触れていると、網野菊という作家の、一番の勘所みたいなものは何か、少しだけ分かったような気もしています。

それは一言で表現しにくいのですが、あえて言えば「勘違い」や「すれ違い」というようなことになるんじゃないかと思います。


「勘違い」「すれ違い」、どれも普段の生活の中では、良くあるような事柄ですが、網野菊という作家は、いつもこういった日常の些細な失敗を、不思議なほど大切にしていた、あるいはじっと見つめていた作家だったのではないかと思えるのです。


例えば、仲良くしていたロシア人女性が帰国することになって、見送りに行くつもりであったのに、帰国の日を間違えて覚えていたために最後に言葉を交わすこともなく別れてしまった、という筋書きの作品が網野菊にはあります。

また、最近一人暮らしの老人を狙った犯罪が多いので気をつけないと、と考えていた矢先、夜中にある男がやってきて、今度は自分が狙われるのかと思い、びくびくしていたら、全く違っていたのでほっとする、といったような筋書きの作品があります。

(手元に作品のないまま、記憶を頼りに書いているので、大変な間違いを記しているかもしれません…。機会があれば書き直します)


つまりこういった「勘違い」「すれ違い」というようなことが彼女の作品には、地味で目立たないながら、いつも必ずあるように思えます。


小説には「勘違い」や「すれ違い」が展開のために必要な要素であるから、そんなことは問題にならないという意見があるかもしれないのですが、彼女の作品の場合、そういった意見は当て嵌まらないように思います。彼女の作品の場合、それは要素ではなくて、常に結論のようだからです。つまり、網野菊という人にとって「勘違い」「すれ違い」は作品の構成要素ではなくて、そもそもテーマなんじゃないだろうか、ということです。そしてそれは、作家としてのテーマというよりは、網野菊の生き方そのものに関わるようなテーマではなかったのだろうか、ということです。


日常において、些細な「勘違い」「すれ違い」というのは、いつでも、どこでもあるものです。けれども、私はそう思うことが最近多いのですが、そういった些細な「勘違い」「すれ違い」こそが、実はその人間をもっとも特徴付けるのではないかと思うのです。つまり物語の展開要素とはせずに、一個の人間の生き方在り方をまざまざと写し出す鏡として、網野菊という作家はいつもそれを大切にしていたのだろうと思うのです。







久生十蘭情報

久生十蘭の全集が2007年度、国書刊行会より出るようです。

また、久生十蘭の著作権継承者の方と、その友人の方が運営している久生十蘭のオフィシャルブログがあります。久生十蘭ファンの方は是非、御覧になってみてください。


http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/


その久生十蘭のオフィシャルブログから、一部ご紹介。


『私が生前の十蘭についていろいろ調べたり書いたりしていることについて、よいことだと評価している人ばかりではありません。ジュウラニアンならご存知かと思いますが、本人はプライベートなことについては極力、公表しない作家だったようです。

小説家は作品が全て。どんな人生を歩み、どんな生活をしたかなどということはどうでもいいことだと、いつだったか叔父に言われました。これは母方の叔父のことです。甲府にある恵運院という寺の住職をしている作家・青山光雄です。(メジャーでないので、皆さんはご存知ないかも知れませんね。)

十蘭の既刊の単行本や文学館のホームページの略歴にかなりの誤りがあることが分かり、端から懸命に校正しているという話をしたら、「そんなことは、どうでもいいことだよ」というのです。

誰だって自分のことを他人に根掘り葉掘り詮索されれたくはないでしょう。しかし、作品が死後、半世紀を過ぎても読み継がれている作家について、正しい情報を後世に伝えることが私の役割ではないかと思っています。

遺影の下の封筒には、阿部正雄(十蘭の本名)の「履歴書」に入っていました。

毛筆で丁寧に書かれていますが、訂正が三カ所あります。一緒に入っていた叔母の履歴書は昭和15年となっていたので、十蘭も同じ頃に書いたと考えられます、「族籍」は「平民」。こんな項目が書かれる時代だったのかと、興味をひかれます。

謎の多いフランス滞在については、こんな記述です。

一、同(昭和)四年十月、演劇研究ノタメ渡歐ス
一、 同    六年四月、佛國巴里市立工藝學校ヘ入学
一、同    八年三月、同校音画科ヲ卒業、九月、歸國ス

早速、江口先生に「帰国の月が分かりました」とこの履歴書を見せると、「いやー、十蘭のことですから正直に書いているかどうかはわかりませんね。私はパリにも出かけて調べてきたんですが、証拠が何もないんです」

そういわれてみると、この記述も怪しい。

一、 大正八年三月、東京市田端聖學院中學校卒業

十蘭の評伝を書くに当たって、聖学院中学に行って卒業生名簿の確認もしたところ、名前はなかったそうです。婚約の釣書は、経歴詐称? 納得のいかない私の問いかけに、江口先生は「十蘭ならやりそうなことですよ」と笑っていました。

資料を調べまくる私や亜子十郎さんに、十蘭は「そんなことはどうでもいいじゃないか」と、いっているかも知れません。』



私がこのブログで、十蘭のプロフィールを書いた時には、何の疑念もなく、「聖学院卒」と書いたのですが、いや、まさか聖学院に名前がないなんて思いもしませんでした。

しかし、十蘭の学歴が「経歴詐称」だとすれば、一体なぜ十蘭はそのようなことをしたのでしょう? またなぜ聖学院だったのでしょう? 考えてみると、本当に謎だらけな作家ですね。

私としては、「田端」というのが鍵なんじゃないかと思っています。田端といえば、文士の住む町として有名です。芥川に心酔していた時期のある十蘭ですから、もしかすると、この経歴には、そういったことと関連する何かがあるのかもしれません。

しかし、芥川に心酔したということが、実は十蘭のはぐらかしかもしれないわけなんですよね…。もしそこまで彼が見事に自分の経歴を作り上げていたのだとしたら、これはもう、井上光晴や野坂昭如に先駆けてこういったことをしてみせた人ということになるわけですね。


久生十蘭 『母子像』

作品名:『母子像』


発表時期・発表媒体:昭和28年に、吉田健一の訳によって「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙主催の国際短編小説コンクールで1等当選した作品である。日本では翌29年3月26~28日にかけて「読売新聞」紙上に掲載された。

            

作者略歴:明治35年4月6日、北海道函館に生まれる。本名阿部正雄。回漕業を営む叔父、阿部新之助に養育される。大正4年函館中学に入学。2年先輩に谷譲治(=牧逸馬、林不忘)がいた。大正5年に東京の聖学院中学へ転校。大正11年、函館新聞記者となり、演劇運動に加わる。岸田国士に師事し、昭和3年には新築地劇場の土方与志の演出助手となる。
昭和4年、フランスへ渡り、パリの高等物理学校でレンズ工学を学び、やがて市立技芸学院で演劇を学ぶ。昭和8年帰国。帰国後は新築地劇場で演出助手を勤める一方、「新青年」にて『ノンシャラン道中記』『黄金遁走曲』『金狼』『キャラコさん』『魔都』などを発表する。
昭和18年海軍報道班員として、南方へ派遣された。昭和26年11月、『鈴木主水』を「オール読物」に発表。この作品で第二六回直木賞を受賞する(下半期・柴田錬三郎と同時)。
昭和32年2月、『呂宋の壺』を「オール読物」に、4月、『肌色の月』を「婦人公論」に連載(八月までで中絶、絶筆となる)。

10月6日、食道癌のため死去。享年55歳。                                        
                                          

あらすじ:主人公和泉太郎は「バイブル・クラスの秀才」で、将来は神学部へ進む予定の、いわゆる優等生であった。そんな彼は、サイパン島で愛する母親に絞殺されかけたという暗い過去を持つ。

太郎の母親はサイパン島での日本人大量自決の際に死んだものと思われていたが、彼女は生きていた。そのことを知った太郎の行動と心理の変化を扱った作品。                                 
                                                             

同時代評:中井英夫によれば、「代表作とされている『母子像』は、わずか二十枚ばかりの短編だが、彼は初めこれを百枚ほどに書きあげておき、それから煮詰めに煮詰め、削りに削ってあの形に仕上げたという」とある。さらに中井英夫は、「『母子像』にしても発表当時は、さる雑誌の合評で、「なんですか、これは。ただ、出しました、ひっくり返しましたというだけじゃないですか」という見当違いな評を受けただけに終わった」とも記している。        

                                             

感想・視点:『母子像』は放火騒ぎを起こした和泉太郎の担任であるヨハネが、司法主任と婦人警官から太郎の「家庭関係と性向の概略」を尋ねられることから始まる。放火した理由を一切語ろうとはしない太郎は、ほかにも三つばかり、奇妙な行動を取っている。「女になってみること、泥酔してみること、パイラーの真似をしてみること」がそれである。これだけみれば一種の問題児とでもいうべき少年(青年)なのであるが、その反面、学校の考課簿の操行点「百」の、「バイブル・クラスの秀才」で、将来は神学部へ進む予定の、いわゆる優等生でもあった。彼らは一体何故、優等生だった太郎が「急に性格が変」わり、問題行動を起こすようになったかを推理していく。

 かつてサイパン島での日本人の大量自決の際、太郎は母親に残虐な形で絞め殺されかけた。その時受けた心の傷が今頃になって噴き出して「無意識の破壊を試みている」という結論に彼らは辿りついた。恐らく調書もこの結論を下敷きに書かれた・書かれようとしたに違いない。しかし実際には太郎は、サイパン島での、母親によって絞殺されかけたという事実は少しも心の傷ではなかった。彼の起こした問題行動の「女になってみること」「パイラーの真似をしてみること」は、実は死んでいなかった母親を愛するがゆえの行動だったのであるし、「泥酔してみること」「火いじり」は、実際の母親の姿(「ただの女」だということ)に幻滅、「汚いものを身体から追い出す」ため、自殺しようと思ったがゆえの行動だった…というのが一篇のあらすじである。推理小説と心理小説とが無理なく結合されたという感のある作品だ。
  『久生十蘭全集』第一巻解説者の荒正人によれば、この作品が国際短編小説コンクールで一等当選した理由の一つに「フロイトの精神分析が国際的に常識となってきたこと」が挙げられるという。「フロイトの精神分析」とは、つまりエディプス・コンプレックスのことなのだろう。実際この作品に描かれた母子関係にも、「フロイトの精神分析」は有効なのかもしれない。だが、太郎のエディプス・コンプレックスを掬い上げることは、結局のところ、ヨハネや警察の引き出した結論と似たところに落ちつくしかないのではないかとも思われる。むしろここにあらわれた母子関係というのは、和泉太郎にとってみればその美しさゆえにか、昇華され、理想化されつくした母であって、殆ど信仰の対象であったと見るほうが適当だろう。戦中、母が水を汲んでこいと言えば、危険を顧みず銃弾の中を歩いていき、自決の際には、周りと違って一人で死ぬ事になっても、「母の気に入るように」との思いから、喜んで一人で死んでいくなどといった事は、全く神の御心にかなうようにと生きる、敬虔すぎる(従順すぎる)信者のそれに等しい。『母子像』というタイトルの由来はここに求められる。彼が「バイブル・クラスの秀才」、優等生であり続けたのも、「パイラーの真似」をしたのも、「女になって」みたのも、言ってみれば母という名の神に「愛されたい、好かれたい、嫌われたくない」という一心から、御心にかなうようにという気持ちからであった。神学部に進学することを条件に日本へやってきた太郎にとって神とは、だから母にほかならなかったわけで、同時にまたその神に仕えることが彼にとっての生きる支え、意味ですらあった。それゆえ神の如き母が一人の奔放なただの女、「豚みたいな声でなく女」に過ぎないということを知った時、彼はおもむろに自殺を企てたのである。
 ところで、ヨハネは太郎の少々変った点について、こう語る件がある。


 「その方の知識は、全然、欠如していて、あの齢の少年なら、誰でも知っているようなことすら、ほとんど知りません……一例ですが、映画というものを見たことがない。映画については幻灯が動く、という程度の概念しかもっていないのです。(以下略)」


 十六歳で未だ映画を観たことがないというのは、確かに奇妙なことではある。だがこう言って良ければ、和泉太郎はサイパンでの死から日本へ渡ってくるまでの間、ずっと「母」という映画を観続けに観続けた少年だったのである。ただそれがあくまでも「幻灯が動」いているに過ぎないとは思わず、実在の母として太郎が見続け、そうしてそれに合わせた生き方をしていたことに悲劇もあったのである。言い換えれば、太郎の生とは一つの長い長い午睡の夢であった、と、そう言っても良いだろう。そうして、こんなところに、こんな書き方をしたところに久生十蘭という作家の皮肉も、久生自身の抱えた問題もあったのだと思われる。
 太郎の、映画の中の母がどうあっても実在のものではなく、ただの女だと知った時に、彼は母の写真や手紙をズタズタに引き裂いてしまう。それはさながら「幻灯」を映し出すスクリーンを引き裂いてしまうようなものだが、その引き裂く手の動きは非常に遅い。この鈍さに太郎の「母」という神を、生きる支えや意味を失うこと、言い換えれば自らを失うことへの悲しみや逡巡のさまが良くあらわれているのではないだろうか。
                    *
『久生十蘭全集』第三巻、中井英夫の解説によれば、「代表作とされている『母子像』は、わずか二十枚ばかりの短編だが、彼は初めこれを百枚ほどに書きあげておき、それから煮詰めに煮詰め、削りに削ってあの形に仕上げたという」とある。さらに中井英夫は、「『母子像』にしても発表当時は、さる雑誌の合評で、「なんですか、これは。ただ、出しました、ひっくり返しましたというだけじゃないですか」という見当違いな評を受けただけに終わった」とも記している。
 実を言うと、私の、『母子像』の最初の読後感というのは、中井英夫言うところの「見当違いな評」とたいして変らなかったのである。非常に明快で、手つきが良く、巧緻な――要するに端正な顔立ちをしたとでも形容したくなるような、そんな小説なのだけれども、それだからこそ却って何か軽さ、底の浅い作品のようにも感じられたのである。
 ところで、芥川龍之介の『侏殊の言葉』には次のような文章がある。


 わたしの愛する作品は、――文芸上の作品は畢竟作家の人間を感ずることの出来る作品である。人間を――頭脳と心臓と官能とを一人前に具えた人間を。しかし不幸にも大抵の作家はどれか一つを欠いた片輪である。(尤も時には偉大なる片輪に敬服することもない訳ではない。)                        (「わたしの愛する作品」)


 この芥川の文章を持ち出したのは、何も私の感想を補強しようとの意図からではない。久生十蘭という作家は、初めて東京へ出てきた時に、文学書に耽溺しはじめたらしいのだが、中でも最も私淑した作家がこんな言葉を残した芥川龍之介だったということを、まずは確認したかったからである。
 芥川龍之介の、洋の東西を問わない教養とその文才は誰もが知るところだが、案外こんなところにも久生十蘭の受けた影響が良く見れば見られるかもしれない。久生もまた、広い教養(雑学)と、その文章やスタイルの洗練ということが良く言われる作家のようだからだ。
さてそんな秀才型の作家・芥川龍之介が、志賀直哉のようなウルトラエゴイストとも、原始人とも呼ばれた作家、それこそ「偉大なる片輪」かもしれない人に「敬服」していたということも良く知られている話だろう。そうしてどうやら自己というものに、自意識の熱にうなされた挙句に自殺してしまった作家だということも良く知られているが、ならば久生十蘭という人もまた、芥川同様に自己、自意識の熱にうなされていたのではないかと考えて良いのではないかと思う。彼をそう捉えるのだとすれば、久生十蘭が探偵小説作家として出発しながら、SF小説、歴史物、心理小説風のものなどといった、様々なジャンルに手を広げていったのも、「常に何か燃えるもの、ハラハラとするもの、ことさらそういうものを追い続けていた」(勝又浩)のも、一つには自意識を雲散霧消させてしまうようなジャンルに突き当たりたかったからではないだろうか。自己の確たる足場を求めての彷徨、それが久生十蘭という作家の、書く理由であったのかもしれない。そんなふうに久生十蘭という作家を夢想してみる時、少しだけ『母子像』の主人公和泉太郎の不幸は、作者の姿に似ているようにも私には思われるのである。



方向性

このブログでは、日本の近現代の短編を紹介していく、ということをメインにやっていこうかなって思ってます。


①作品名

②発表時期・発表媒体

③作者略歴

④あらすじ

⑤同時代評

⑥感想・視点


こんな感じで、レジュメ風にまとめたものを、随時紹介してくというようにしたいと思ってます。

手始めに、家にある講談社文芸文庫の短編集でも読んで、少しずつ公開します。





このブログは

日本の近代~現代文学について、色々考えていこうじゃないかという趣旨で作りました。


とはいえ、何をやっていくかはまだ決めていません。


素朴な感想をつらつらと述べていくだけかもしれません。


じっくり腰を据えて、研究じみたことをやっていくかもしれません。


私が学生時代に対象としていた作家が夏目漱石ということもあるので、ひとまずは漱石作品を読む、ということからはじめたいとは思っています。


けれど、他の作家も好きで多少は読んでいますから、気紛れに鴎外だの梶井だのをやり始めるかもしれません。


少しずつ更新していく予定です。よろしくお願いします。