仕事で鹿児島―熊本を訪れました。
お仕事お仕事―と言いながら、例によって、ちょいと寄り道
今回のお目当てはこの鳥居です!
近づいてみると・・・・
そう! ここは知る人ぞ知るパワースポット!
遥か昔に霧島神宮が鎮座されていた場所なのです。
その名も「高千穂河原」
高千穂峡とはぜーんぜん場所が違うのでご注意です。
先ほどの鳥居をくぐると、こんな感じの道が続いています。
緩やかな坂道。吹く風が心地いいですね。なんだか言いようのない清々しさ
しばらく歩くと、石段が見えてきます。
その先にも鳥居。シンプルですけれど、なんだろうなぁこの清められてるような感覚・・
石段の下から鳥居を仰ぎ見ます。
後ろに霧島の峰が見えます。
いよいよ高鳴る胸の鼓動を感じながら登っていきます。
鳥居に先にある風景がこれです。
あっけらっかとするほどぽかんと開けた空間です。
あるのはこの石組。
ただこれだけといえば、ただこれだけ
そこには社も、拝礼の作法を教える看板も、○○するべからずという注意書きも、なーんにもありません。
でも、荘厳な社やらこまごました注意書きやら、そういうのって、実は不要なのかも
あるがまま、そして赴くまま、手を合わせるも、首を垂れるも、どんな形でもいいのだという気がします。
この開けた場所に立つと、青々とした山々に抱かれて、心洗われる不思議な感覚です
風が吹きわたり、見上げれば雲の流れる様子の早いこと
僕は特定の”神”は信じませんが、得体のしれない途轍もなく巨大な力―のようなものはあると信じます
それを信心とか、ご利益とか、バチがあたるぞーなんて、人間どもが祭り上げると、とたんに胡散臭く、
嘘くさくなっちゃいますよねー
ちっぽけな人間一匹にご利益だの天罰だのいちいち気を配っていられるものかね―
そもそも”畏れ”だけで十分。それで自分がどうかしてもらおうなんて、おこがましいおこがましい
確かにここには、神聖な力がみなぎっている―
そんな感じがします。
この場に立って、一人しばらく佇んでいて、素朴に出てきた言葉は、何を願うでもなく、
「やって参りました」
の一言でした。
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なお、ふもとにはビジターセンターがあって、そこの職員の方が本当に丁寧に
いろいろと説明をしてくださいました。
今度はじっくり訪れて、できれば山頂の「天の逆鉾」をこの目で見てみたい!
そう願わずにはいられませんでした。