妻に先立たれた男の平均寿命は4年―という話を、たしか永六輔さんがされていたような記憶があります。
それほどに、妻を失った喪失感は深く深く残された男の心と体を蝕むんでしょう
野村克也さんも、奥さんを失ったときの姿は見ていられないくらいにボロボロでしたね
先日、取引先の会長の奥様が亡くなりました。
体の不調を訴えて入院されたあと、1か月もたたずに急逝されました
会長の落胆ぶりは、かける言葉も見つからぬほど・・・
故人の意向もあって、葬儀は家族葬で、訃報もごく限られた関係者にのみ伝えられただけですが
それでもお悔やみを言いたい-とか、挨拶に伺いたい-とか、お線香代を包みたい-とか
いろんな声が出るようです。
そこにあるのは「お付き合い」とか「そうしなければならない」という自分の気持ち・・
故人を悼む―という純粋な思いは、あまり見えません・・・
先日、叔父夫婦と食事をした折、僕の祖父母(叔父の両親)の思い出話になって、
「亡くなって20年たってもこうして、おじいさんはああだった、おばあさんがこう言った―みたいに
思い出してもらえるっていうのが、忘れないっていうことが、いちばんの供養だよね」
という話になりました。
僕がこの先死んだ後、いったい何年「僕」という存在を語り伝えてもらえるだろう―
ふとそんな風に考える夜です