神経接多接合分岐論 | 文淵の徒然なるかな

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降ってきた言葉を書き留めるのもアイデアワークのひとつと言えよう。どうせ論拠なき妄想の類いなのだからね……と自虐的な前置きはさて置き

神経は体内のいずれにも張り巡らさせており、成長に伴う形で神経接が増強される。運動なら体内神経接合の増強や付随する形で脳神経接合も増える。思考においても同様に脳神経接合が増える。接合部から神経が分岐していく。
リハビリなどで動きが悪くなったりするのは神経が減少し接合部が減り信号が弱くなり、筋肉の調整が働き難くなるからだと推測する。勿論純粋に筋肉減少も原因ではあるのだろうが、やはり神経接減少に伴う神経信号の減衰では無いかと思われる。
逆に良く使う神経は多接合されて強化される。
皮膚感覚や筋肉や腱あるいは骨格を無意識に操作できるように、重心や運動ベクトルも無意識に操作するために神経接が多接合され強化されていると考えられる。
同様に脳神経においても同じ事が考えられる。
以前から再三繰り返している『見たい物だけを見る』の認識にもこの神経接の多接合が関わっている。運動のみならず思考や趣向においても脳神経接多接合による強化が考えられ、神経の強化により思考方向も定まり、見たい物事だけを見る状況となる。
そして神経接多接合はある一定の段階、神経の飽和に近づくと分岐を初める。
大元の神経網は人類共通と言える。これは遺伝上例外を除いてほぼ共通と言える。しかし先の神経が増えて接合部分が多くなると共通とは別の分岐を初める。
例えば腕を動かすのは共通の神経網で可能だが、協調して指先を動かしたりすれば神経信号が増え神経接合が生まれ、これに腕を動かし腕が伸びきる前に指先を動かし、瞬時に腕を90度に戻した時点で特定の指先形と手のひらの形を作るのであれば神経接はさらに増え、ここにある条件なら行動の途中で指先の形を帰るとなるとさらに神経接合は増える。
ここに指先の感覚条件に影響するならば神経接合は多接合になり、場合においては分岐していく。
神経は信号を伝える媒介に過ぎない。多接合で神経信号は強化されて、分岐する事でさらに細やかな信号まで伝達できるようになる。
この分岐が特質や特性に近い能力ではないかと推察している。勿論大元の神経網の機能に付随する形で分岐されるので、何か特別な機能を有する訳ではないが、反復する動きの協調運動などはこの神経分岐による記憶ではないかと考えている。
記憶が全て脳に依存している事実とは反するのだが、どうにも脳神経全てに依存しているとは考え難い。
膨大な情報や基本的な最低限な行動神経や記憶以外は体の神経接に外部メモリのように保管していると疑っている。

勿論相変わらずに疑いに何の根拠や理由もないのだが(笑)

少なくとも脳神経全てに依存している訳ではないと主張する。

もちろん何の根拠も無いが(笑)

降って湧いた思考の原因もそんな神経接多接合分岐が影響しているのかもしれない

根拠は無いが(笑)