あの日①からの続き

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会社を出て家に帰って、なんだか落ち着かない。

とりあえずテレビをつけたらやはり現地のニュースでも日本の地震のことを伝えていました。

そしてメールならいいかなと思い友人たちに無事かを確認するメールを送ったら、

3年前に亡くなった親友が一番に返信をくれました。

 

「いや〜びびった〜。東京もすごい揺れたけど私は大丈夫だよ」と。

落ちてきた物で足を怪我した友人もいましたが大怪我ではなく、幸い私の友人たちで大きな被害に遭った人はいませんでした。

しかし、スーパーやコンビニの食料品の棚は空っぽでなんか不安だよ、と聞いて

親友がよく食べていたラーメンやお菓子、トイレットペーパーなどを買い込んですぐ日本に送りました。海外から、日数もかかるし混乱している日本に荷物を送る申し訳無さもありましたが、なにかせずにはいられませんでしたね。

 

それに今思えば、ですが、海外でのニュースなので大枠のことしか伝えないんですね。だから東京で帰宅困難者が多く出て街に人が溢れいたことなど、地域地域の情報はほとんどわかりませんでした。

 

そして今となっては時系列がもう思い出せませんが、原発が爆発しそうだと、福島の原子力発電所の映像が何度も流れていたことは鮮明に覚えています。

原発って、何号機、何号機っていっぱいあるのか、とその時に知りました。

 

京都の実家には週末に電話をしました。

そうしたら、被害はなく今日はお友達とお茶をしている、と母が。。

恐らく関西は大丈夫だろうと思ってはいましたが、

なんだろう、このニュースから流れてくる壮絶な映像と、いつもどおりの日常を送る母、同じ日本なんだろうかと混乱するとともに、海外にいて日本の状況が断片的にしかわからないことが不安でした。

 

そんな週末を過ごしてさて月曜日、いつもどおり会社に出勤。

そこで陸前高田出身の同僚が家族と連絡が取れない、家がどうなったかわからないことを知り、日本人で手分けして情報集めが始まりました。

 

日本領事館に電話をして、どうやったら正しい情報が得られるのか聞いてみたり、

ネットに掲載されている安否情報を片っ端から見ていったり、

あの日は日本人チームはもう仕事しなくていいよ的な雰囲気が社内にもあって、

必死で情報集めをしました。

 

そうしたら、現地から日本への航空機がすべてキャンセルのニュースを見つけて

日本人パニック。。え?私たち日本に帰れないの?いつまで?って。。

いやいや、直行便がキャンセルなだけで他の国経由したら帰れるでしょ、ってことにも気づけないくらいみんなショックを受けていました。

それだけ重大な何かが日本で起こっているんだな、と。。

 

つづく・・・