今年3月宮城まり子さんがお亡くなりになりました。93歳でした。日本最初の肢体が不自由なお子さんのための施設「ねむの木学園」を作られ、尽力されました。

 

私が子供のころ、宮城さんは「まんが世界昔話」だったかな~。アニメの声をされていて。なんとも優しいお声だなとの印象。

 

後年はもうテレビにはほとんどお出になっていませんでしたが、その功績は素晴らしいものだったのだなと改めて思います。詳しくはこちらで↓

 

あとは私には「さいざんすマンボ」(ラジオで偶然聞いたのですが)の印象が強く、トニー谷さんとの掛け合いが見事でした。

 

 

何年も前ですが、宮城さんの「淳之介さんのこと」というエッセイを図書館で借りて読みまして。宮城さんの純粋な人柄が文章全体からあふれ出ていて、本当に素敵な本でした。

 

淳之介さんとは、作家の吉行淳之介さんですね。(吉行和子さんの兄。ドラマ「あぐり」でヒロインだった吉行あぐりさんの最愛の息子でもありました)

 

かなりのプレイボーイでもあったようです。動画があったのであげてみますが、私もあとから見てみたいと思います。

 

 

↑こちらyou-tubeのサイトでご覧くださいm(__)m

 

これもよかったなぁ。12:50あたりから吉行さんのことも語っています。「冷たいよ~あの男」と宮城さんの本音もチラリ(笑)↓

ふたりは事実婚といってもおかしくない関係を長い間続けていたのだと、その本を読んで知りました。

 

しかし先妻とのあいだにお子さんもいて、離婚は成立していなかったようで。不倫の関係でもあったわけです。そのため宮城さんはかなり肩身の狭い思いをされていたのではないかと察します。

 

それでも宮城さんは吉行さんのことを心の底から大事に思っていたのが伝わりました。と同時に宮城さんはふたりの子供をおろした事実もエッセイで克明に描かれています。

 

きっと本当は生みたかったんだろうな、と思うと涙があふれました。そんなことからも、宮城さんは「ねむの木学園」を作ったのではないかと勝手ながら推測しています。

 

いちばん心に残っているのは、時々ぜんそくの発作がひどくなる淳之介さんを見て、友人の一人が東京を離れ、転地療養をするべきと思ったらしく。

 

宮城さん自身はそうしてほしかったようですが、ご本人が首をたてに振らなかったんですよね。だから宮城さんはどうしようもなかった。

 

それを見かねたその友人が宮城さんに一言「ヒトゴロシ」と言い放ったのだといいます。ひどい話です。人様のことながら本当に読みながら腹が立ちました。

 

「ペンは剣よりも強し」という言葉もありますが、人を傷つけるのは実に簡単な言葉なのです。不用意な、思いやり・思慮に欠けた言葉で、その人にとってはグサッとハートに刺さるのです。

 

いま、誹謗中傷が何かと取りざたされ、SNSが炎上とか、実際に心無い文章を投げつけている人を見たこともあります。なんでこんな風になっちゃったんだろうと悲しくなりますが…。

 

とすっかり話がずれてしまいましたが💦みんなが宮城さんのような優しい心の持ち主であったらと思わずにはいられません。

 

吉行さんは70歳でこの世を去りましたが、宮城さんは93歳と長寿をまっとうされたんですね。

 

ねむの木学園は見学も可能なようで、(いまはコロナの感染予防でダメなのかもしれません)いつかは足を運んでみたいなと思いました。