金スマは今回、志村けんさんがゲストということで気になってみてみました。ふだんこういう系統の番組にはあまり出られないので。お笑い人としてそれは大切なことだとは思うのですが。

 

志村さんのお父さんが学校の先生で、ふだんは厳しく「クスリ」とも笑わない人だったこと、「志村先生の息子さんだから」と周囲に言われて、おちおちいたずらもできなかったこと、そんなお父さんがテレビでお笑いを見て声を立てて笑ったことで「すごいな」と思ったのが、今の道に進んだきっかけになったことなど、私は知らないことだらけでした。

 

そのお父さんは不運にも交通事故の後遺症で、記憶喪失になり、晩年は日常生活も誰かの手助けがないとできなかったそうで…54歳の若さでこの世を去ったそうです。志村さんは番組収録直前にお父さんの亡骸と面会したものの、死に顔を見ると正気でいられなくなると感じて、顔は見ずに霊安室を去ったのだと言います。

 

志村さんが「全員集合」の荒井注さんの後任として抜擢され、「東村山音頭」「カラスの勝手でしょ~」などの歌で爆笑をかっさらうようになったことも、お父さんは知る前に亡くなったんですね、残念です。

 

いかりやさんは志村さんの笑いに対する姿勢・貪欲さを高く評価し、「新しく入れるのは付き人の中でもこいつしかいない」と思っていたみたいです。いかりやさんの自宅にしばしば志村さんは呼ばれ、泊まり込みでこれからどう身を処していくか、いかりやさんは志村さんの相談に乗っていたと。

 

志村さんはいかりやさんに「お父さん」の影を見ていたのかも。だいぶ年も離れていたでしょうし。いかりやさんもそれを感じていたのかもしれません。

 

「全員集合」の会議に午後3時~夜12時まで費やしたこともあったといういかりやさん、すごい情熱だ…なかには逃げ出すスタッフもいたそうですが、無理からぬことでしょう。

 

いかりやさんの俳優としての名演技ももう見られないのかと思うと惜しまれますね。遺影のコントラバスを弾く姿、CMでも見た記憶ですがかっこいいんだよなぁ…

 

「全員集合」の後番組は、「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」でしたが、そこで視聴者の投稿ビデオ(笑える映像)を紹介しようと提案したのも志村さんだそうです。今や定番の企画となりましたが、さきがけだったんですね。当時はまだ家庭用のビデオカメラも持っている人は少なかったのに…。この企画はアメリカの番組にも買われたみたいですから、先見の明がおありだったんですね。

 

いかりやさんは「志村魂」も隠れてご覧になっていたそうで、照れくさくて楽屋にも行けなかったのでしょうが。最愛の弟子でもあった志村さんのご活躍を内心嬉しく思っていたに違いありません。いい話です…