18日のブログでは「介護生活はじまる」と書きましたが、ホントはもう少し前から始まっていました。
でもアイが本当に立てなくなったのは先週の土曜日です。そこから日に日に状態がよろしくなくなっていき
正直私も夫も見ているのがつらかったです。元気だったアイもついにこうなってしまうのか…
本犬もつらいだろうし、私たちももはやどうしてあげることもできない。
悩みながら介護を続けていく中、いよいよ痛みのためかアイが笛の音のような声で鳴きだし、何度も寝返りを打たせ、体の向きを変えましたが、やはり鳴きだします。
夫が膝枕をし、添い寝することで落ち着いたようで、荒かった呼吸音が静まり。しかし、どんどん弱くなっていきました。私は彼女の呼吸のリズムを聞きながら「これはいよいよ…」と感じました。残念ながらその予測はあたり、アイは19日の朝早く亡くなりました。14歳とひと月、ちょうどすぎたところです。
14歳になるのを待ってくれたのかな、神様かな、アイの力かな…
皆様にはご心配頂き「何かお役に立てることがあったら…」といっていただき、ありがたく感謝しております。
もちろんアイがいなくなったことはさみしく、昨日はひとりで号泣しました。
これからもさみしいし、元気だったころのアイのことを思い出してしまうことでしょう。
ですが、実は大事なものをなくすという悲しい経験を19歳のころ私は一度しています。
母が進行性の胃がんで、わずか3ヶ月足らずの闘病で天に召されました。
父はすべて知っていたようですが、知らされていなかった私は打ちのめされ、正直あのときの喪失感を超える経験はこの先ないのではないかと今のところ思っています。
夫・父には申し訳ないのですが、母は私にはそれだけ大きな存在だったのです。
だからご心配はありがたいのですが、アイは十分長生きしてくれ、病気に負けずに手術後も5年近く生きてくれたことに感謝しておりますので…。うまく言葉がまとまりませんけど、そういうわけですm(__)m
