どんな人にも“価値”があります。それはすごく抽象的なものです。


“人(自分以外)”を対象にしたとき、好み、つまり、好き嫌いがあるのは、人(自分)の価値観が違うからです。


人の心に近づこうとするのは、その人が好きだから。嫌いであれば、無視するか遠ざかる筈と思うのは、実は少し違っています。
それは、“精神年齢”で左右されます。精神年齢も、生まれたときから発生し、脳の発達により成長しますが、身体の成長と一致しないときがあります。脳の他の機能の発達とも一致しないことさえあります。


価値に気付かないか、どうでもよいと思ったとき、無視します。
対象の価値を好きと感じたとき、近づこうとします。
嫌いと感じたときはどうでしょう。普通は遠ざかろうとします。自己顕示欲が強く、じゃまになる“対象の価値”を下げられるとか利用できると思ったとき、近づこうとすることがあります。思いどおりにならないストレスをぶつけるために近づこうとすることもあります。脳が発達し、近づくと自分の価値が下がると分かっていれば制御(自制)することができます。制御が十分できるようになることを“大人になる”と言います。


3歳以下の幼児は、人のものと自分のものと区別できません。人のおもちゃを見て、好きと思えば誰のものでも取ろうとします。“分別(自制心)”は3歳くらいから生まれ始めます。
“いじめ”は、愛情に飢え、脳に溜まるストレスの発散が主因で、自分より弱いと思う相手に向けます。自分の価値(強さ)を人に認めて欲しい場合(自己顕示欲)と、思いどおりにならない人の価値を下げたいと思う場合(逆恨み)があります。精神年齢は小中学生程度で、自我の芽生える反抗期と重なることもあります。
酒、たばこ、ギャンブルなど、中毒症状を伴うものに年齢制限があるのは、身体への影響だけでなく、精神年齢が大人になることも加味されています。
一旦大人になっても、ときに乱れます。それを“大人げない”といいます(笑)。それが続くようなら病気です。


“アンチ”の心は誰にでもあります。強い者の価値を下げたいと思うとき弱者を応援する気持ちになるのもそれです。人に危害を加える行動にまで及ぶのは、精神年齢が未熟で、自制心が足りない人や自己顕示欲が強すぎる人、一時的に脳のストレス発散したい気持ちが自制を上回ったときなどに起こります。


“価値観”は自分で変えられます。“好き嫌い”も、肯定系の言葉と表裏の否定系の言葉とを置き換えて記憶し直すとどちらにも変わります。
人は皆自分の“価値”を褒められると嬉しくなり、もっと高める意欲が湧きます。


人の価値を素直に認め、自分の価値を高め続けられる人。それが、人格者であり、人望が集まります。それを嬉しく思う心があれば、誰でも人格者になれます。


・・・上から目線ではありません。
なかなかこうなれない自分の心を静めるための戒めです(笑)