感動について、少しわかって来ました(笑)。


感動することと“好き”という感情とは実は切り離せません。
感動することと“嫌い”という感情とは実はほとんど無縁です。


感動が“好き”より先に来ることはあります。
壮大な景色に出会ったとき、思いがけない場所に咲く綺麗な花を見たときなど、予想外の「驚き」「新しい発見」に出会ったときに感動することがあるのがそれです。すると、必ずそれは“好き”という感情を伴い記憶に残ります。そして、また見たくなります。


“好き”なことや物、人が対象だと、そこに予想外の「驚き」「新しい発見」が加わる度に感動し易くなります。そしてもっと“好き”になります。


“嫌い”と思っている対象からは、感動することはありません。


“好き”“嫌い”は感情を表す1対の言葉ですが、「好みの問題、理屈じゃ説明できない」とよく言われます。理性的に説得しても「理屈じゃそうだけど、やっぱり嫌い」と言われれば、それまでです。


では、脳の中でほんとうにコントロールできないのでしょうか。ある人を“嫌い”と思っていても、他の人がその人を“好き”だと沢山聞いているうちに“感化”されることだってあるじゃないですか。“食わず嫌い”を「だまされたと思って食べてみて」と勧められ、食べてみたら、案外美味しいって“好き”に変わることだってありますよね。


“好き”を皆で語り合うこと。これは、大いに感動を増やすことに繋がります。


でも、一つだけ、大事な注意点があります。


“嫌い”は、自分だけの心にそっと放置し、人と語り合ってはいけません。
共通の“嫌い”を見つけてしまう可能性があるからです。“嫌い”談義は不毛で、感動に繋がらないからです。


「○○さんが一番好き」これが限界です。不特定多数との比較は許容できます。
「○○さんよりも好き」「○○さんよりずっといい」これは言ってはいけません。考えてもいけません。


特定の人と比較し語り合っているうちに、比較された人を“嫌い”になる可能性があるからです。「考えるのは自由」と思っていると“嫌い”の記憶が沢山脳を支配し、ついには、“嫌い”な人だけじゃなく「何もかも嫌い」な“感動できない心”になります。


“嫌い”なことは、考えたり、思いだしたりせず、記憶をそっと放置すれば忘れることができます。
どうしても気になる場合は、プラスの言葉に置き換えればいいんです。「無神経な人」は「おおらかな人」なのです。


まずは、自分に当てはめてみるといいです。長所ばかりの人間になれます^^。
ただし、“ストイックさ”を長所に持っておかないと、自信過剰、誇大妄想になります(笑)。


感動すると楽しいし、嬉しくもなります。もっと感動したいと必ず思います。
「二度と感動したくない」なんて言う人はいませんよね。


じゃー、答えは簡単です。“嫌い”をできる限り脳から取り除けばいいのです。