【旋風】 | 3月23日(水)【文・文構一期生卒業大放談会】

【旋風】

 早稲田大学古寺仏研究会会員(国士舘大学文学部考古・日本史学専攻3年)の小西悟と申す。2010年度は文学部・文化構想学部の完成年度に当たり、去る今年三月、両学部1期生が卒業した。それから3ヶ月余りがたち、久々の更新と相成った。しかもこのたびは第三者からの投稿である。つまらない第三者の投稿であるが、みなさんが、自分たちが両学部において学んだ(でる)ものとしてどうあるべきかを考える参考となれば幸いである。

 新世紀に入って、日本は競争社会化がすすんで、2008年の世界的な金融危機で大いなる損害を被り、日本経済は疲弊している。現政権は疲弊から立ち直らせようと尽力しているものの、大地震があったなどなかなか上手くいっていない。日本は近代化して以降、科学をも自身の意志に従わせるくらいにものの考え方を磨くことを重視してきた東洋の風土に似合わず、効率性を重視して競争状態の保存につとめてきた。その流れにおいて軽視されるようになったのは人文科学である。みなさん首都大学東京の開学は記憶に新しいことであろうし、今年その前身の東京都立大学が廃学となったこともよくご存知であろう。東京都立大学他三大学が首都大学東京として合併される際に問題となったのは人文科学の扱いであった。東京都立大学人文学部も数々の優秀な人材を世に送りだしてきた。きっとみなさんもその卒業生の恩恵をうけていることであろう。その人文学部は首都大学東京にはなく、人文科学分野は社会科学分野や自然科学分野とともに都市教養学部に組み込まれている。あくまでも社会科学や自然科学の補助として扱われているに過ぎないまさしく世の人文科学の扱いがそのまま反映されている事例といえよう。さような時世において、2007年に早稲田に新しく文学部と文化構想学部が登場した。文化構想学部については困惑している方が多いであろうが、これまでの文学学術院の体制を一新した意義は何であろうか。それは人文科学のあり方を見直すことであるというのが筆者の私見である。

 さて、そもそも第三者にすぎない筆者がなぜここに書き込んでいるのだろうか。筆者はこのブログの熱心な読者の一人なのである。ブログを読んでいて、一期生の方々が一期生だけにご自身の学部について強い思い入れがあり、真剣かつ熱心に考えておられるという様子が伺えて、興味深く思った。筆者の母校は表の顔は体育で強い勢力を誇る大学であり、裏の顔は政治学・経済学、考古学においてある程度の勢力を誇る大学であるのだが、アカデミック面全体において弱小勢力であることは認めざるをえず、学内においても(どの大学にもいえるが)我が文学部は優位ではなく、研究活動や研究普及活動も他の学部に遅れをとっており、筆者は毎日、その文学部の現状を憂いているだけに一期生の方々の気持ちがわかる気がした。筆者としても人文科学もしくは文学部が大事にされるようになってほしく、大学から旅立ったあと人文科学系の学識者としてどうあるべきかを真剣に考えているので、この両学部の動きが何らかのヒントになれば幸いと考えた。是非彼らと討論したいと思ったのでメールを送った。ブログにコメントを書きたかったが、amebaに会員登録していないので書けないのである。またツィッターももっていないからそれしか手段がなかった。そしてつい先々週の日曜日に返事を受け取り、投稿を依頼された次第である。

 話を戻すことにしよう。なぜ人文科学は軽視されてしまうのだろうか。大きな理由としては現代社会において人文科学の知識が直結するポジションが少なく、政治面に影響力がないことによると私は考える。人文科学とは大きく哲学・史学・文学の3通りにまとめることができるであろう。教育学、心理学、地理学などが人文科学系学部に導入される場合があるが、これらは社会科学に類するものである。首都大学東京の扱いからわかるように人文科学は世間から低くみられている現状にある。人文科学への評価を上昇させるには学識者たちの姿勢の見直しがまず必要ではないだろうか。果たしてこれまで学識者たちの世間への態度に何の問題もなかったかどうかを考えるとどのようなことがいえるであろうか。筆者が問題点をあげるならまずそれは学識者たちの閉鎖性である。これまで学識者たちは世間に対して専門知識を具体的にかみくだいてまでも丁寧に説明することから逃げてきたのではないのだろうか。その背景として人文科学は決まった法則というものはなく、社会科学よりも一つの事柄に多方面からの異なった見方がされていて、いったんひとつのことに集中すると周囲の事柄が視野に入らなくなってどうしても社会科学より知識の範囲がせばまってしまって専門外の人に対する上手い説明ができないことがあげられよう。ほんの一面からの筆者の考えであるが、そうだとして、だからといってそうした態度をすることは自身や人文科学に従事する人間に悪影響としてはねかえってくるので、罪深い行為ではなかろうか。それでは実際、人文科学の知識が直結するポジションは、文学であれば、小説家、訳者、ジャーナリストが考えられるであろうが、史学のなかでも文献史学の場合は学芸員に年史や自治体史や史料の編纂、教育委員会に属しての史料の調査くらいで、考古学は建設会社でポジションがあったり、人手が多く必要であるために職業として調査がやりやすい、民俗学は学芸員か自治体史編纂くらい、美術史学は鑑定家か学芸員、建築史学は建物修理での調査しか直結するポジションがなかろうか。東洋史、西洋史、文化人類学も同じようなものであろうか。あとは研究機関のポジション、塾講師、高校・大学教員しかないであろう。哲学も高校・大学教員・塾講師、研究機関のポジションくらいであろう。ポジションが幅広いとはいえず、政治面に影響力がないことがわかるであろう。以上のようなことをふまえて両学部が世間での人文科学のあり方についてどう答えを出すか期待したいところである。とはいえ、カリキュラム編成や教育についてどうこうするよりはむしろ卒業したひとたちが学識者としてそこで培ったことをどう社会貢献に役立てるか、学識者としてどのような生き方をするかの方が重要かと考える。実は文化構想学部は早稲田のオリジナルではないであろうというのが私見である。類似のものとして筆者は成城大学文芸学部をあげる。教育学家たちは成城大学を運営をしている成城学園がノート式の教育に対して知的好奇心重視の教育を目指している学校法人であることはよくご存知であろう。成城大学文芸学部の文化史学科、ヨーロッパ文化学科、マスコミュニケーション学科が先駆けかもしれない。しかし伝統の人文科学の閉鎖性は守られるのにとどまっている。早稲田大学の場合はその学風からして悪しき伝統を破ることは不可能ではないかもしれない。また両学部から巣立つ社会科学系の学識者はどうであろうか。誠に勝手ながら人文科学の弁護をお願いしたい。人文科学に理解のある社会科学系の学識者として巣立つことを願う。

 では学識者としてどういったあり方が考えられるか、わたくしの場合を述べることとしよう。筆者は民間人でい続けながら研究を続けるつもりである。自分が研究で楽しくしている分、研究者のサポートをしていきたい。そしてただ研究者で社会に受身になるのではなく、時にはやれるかぎり世間が幸せになるようなことに尽力したいと考えている。一方で修士号や博士号の取得者の専門性を社会に活かす目的で地域社会の輪に入れるためにも副業でもできる個人経営の教室を開くというスタイルを推進したいと考えている。地道に働いて食べていくことを長くやっていなければ推進できないことはわかっていて、地方公務員になれば推進がやりやすいと考えているので、これから先ほぼそれにしぼる考えになっている。筆者も就活が迫っているのである。また研究蓄積が豊富であるにもかかわらず一般向けに本や雑誌の記事として世に出ていないネタが多くあるので、誰か出してほしいが、誰もしないなら自分がやって人文科学の閉鎖性を打ち破ることに貢献したいと考えているところである。そして民間に身近な学識者でありたい。こんなところであるが、このように文学部・文化構想学部から巣立ってどう学んだことを生かすかを考えていただきたいと願う次第である。どんなタイプの学識者になるか、それが両学部への評価を決めていくこととになるであろう。

 以上が第三者の意見である。いろいろ勝手なことを述べて申し訳ない。第三者で事情をよく知らないのは十分承知している。自分としてもアルバイトの経験があまりなく、その他いろいろだらしのない面があるので、このようなに語ってしまっていいのか正直戸惑っている。早稲田大学の世間への影響力は極めて強いゆえ、両学部の動きは人文科学に従事するほんの田舎の一学生である筆者には目が離せないことである。ぜひ以上のことについて様々な方の意見を伺いたい。特に成城大学文芸学部の方に意見を伺いたいところである。最後に学術面で強大な勢力を誇る大学の学生の皆様に伝えたい。民間に身近な学識者としてその知性は世のため、人のために尽くそうとするときに最大限に発揮して頂きたいと筆者は心より願っている。共に大いに働こうではないかといったところで、本記事のしめとしたい。