お子様はあらゆる目新しいものに手を伸ばし、つかんで握って、あらゆる方向から吟味し、しゃぶってみます。
そして投げ捨てる。
その結果、割れたり折れたりする。
まあそんなたくさんではないけれど、ペンやらお皿やらグラスやら、いくつかのお気に入りを破壊されました。
おそらく独身時代の私であれば怒り新党を結成し、悲しみのあまり、自宅を飛び出していたところでしょう。
しかし、そんな感情の高ぶりは感じないのです。ここ最近。
たしかに、モノとして気に入っていて、長いつきあいで思い入れもあり、しかも値段がそれなりに、というものを壊されると、ショックは感じます。
しかしそれは、とはいえ、諸行無常の響きあり。
形あるものいつかは滅びる。
まあ、しゃーねーな、的なあきらめが伴い、それほど血圧は上がらないのです。
しかも、同じものを新たに買い増そうか、という気持ちもわかない。
どうせまた壊されるし、という気持ちもあるにはあれど、それ以上に、どうでも良いじゃん、無印良品かニトリで似たようなもの買っとけ。
という物欲の低下、無関心という事象が伴っているのです。
昔はそれなりにあった、モノへのこだわりはどこへ行ってしまったのか。
でもよく考えると、こだわりがないわけではない。
それなりに年を重ねると、「新しい」「こだわりの」とうたっている商品を見ても、何となく、もとネタがわかるようになってくる。
「ああ、あれっぽいね」「こういうの昔、流行ったよね」と。
となると、ものにこだわるのが、なんかばかばかしくなってくると言うか。
つまりあれですよ。
ちょっと良いなあ、と思うものがお店に並んでいても、「商品企画の人がノルマにおわれて、やっつけで過去の名作をパクった企画書を書いて、それっぽい外人の名前をデザイナーとして名義借りして、中国の工場にごり押しして作って日本にやってきたものなんだなあ」とか、考えてしまう。
その結果、一気に買う気が失せるわけです。
なんか、皮肉屋ですいませんが、とにかく萎える。
おそらくそういう風になった人は、買い物への関心を失うか、あるいは『作家もの』にシフトしていくんでしょう。
まあ少なくともうちの奥様は「多少高くても、良いものを」とか言われると、すこしはぴくぴく来ちゃうお年頃のようです。
ということをつらつら考えるのも、奥様が「(ボーナスで)ちょっときちんとした食器とかそろえよう」とうるさいから。
「ニトリでいいじゃん」と言ったら、「ああ?」と威嚇されるし。
いままでは先送りしてきたけれど、そろそろきちんと対応しなくてはならないというか、何というか。