日本列島に人が住み始めたのは、約3万5千年前の旧石器時代以降といわれている。その後、日本列島内で長い時間をかけて交流を重ねることで、やがて独自の狩猟採集の縄文文化を形成した。
そうした縄文文化の担い手が、日本人の原型とも言える “縄文人”と呼ばれる人々で、約5,000年前の縄文人(エミシ)が作ったと見られる大規模集落跡の“三内丸山遺跡”が発見されたのである。
エミシ(アイヌ)とは、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東国(現在の関東地方と東北地方)や現在の北海道や樺太などに住む人々の呼称であった。エミシにかわって「エゾ」が使われ始めたのは、11世紀か12世紀で、アイヌという言葉が初めて古文書に表れ始めるのは、18世紀前後といわれている。
古代の東北地方にいたエミシがアイヌなのかという問題は、ずいぶん前から論争されてきたが、東北地方に確実なアイヌ語地名が多数あるということが分かり、アイヌと考えられるようになった。
実際、友人が住む新潟市にも、沼垂(ヌッタリ)というアイヌ語の地名があったという。だから、東北地方や新潟県にもアイヌがたくさん住んでいたことを示しているが、東北に住む知人の話では、自分たちがエミシの末裔であるといわれたくないそうである。
母方の祖父母も北東北出身であるが、アルバムを見ると何とエミシだったのである。30年前、私が住んでいた青森市にも、津軽アイヌや下北アイヌなどアイヌコタンがたくさんあったのである。
このようにアイヌは、北海道だけに住んでいた先住民族と思われがちであるが、広く東北や全国に住んでいたのである。なお、私の脳外科の担当医師は能代という名前であるが、秋田県能代にはノシロアイヌが住んでいたところであり、ご先祖は能代市出身であるかもしれない。
ところで、私は30年前に青森県に住んでいた。母親の祖父母も北東北出身であるが、アルバムを見ると何とエミシ(アイヌ)だったのである。青森県にも、津軽アイヌや下北アイヌのアイヌコタンがたくさんあったのである。
このようにアイヌは、北海道だけに住んでいた先住民族と思われがちであるが、広く東北や関東などにも住んでいたのである。アイヌの歴史を知らない人が多く、差別を生む原因になっているが、私に自信があるとすればアイヌの歴史を他人よりも知っていることである。
「十勝の活性化を考える会」会員