先日、北京オリンピック女子団体パシュートを見て思ったことである。結果は高木菜那選手のまさかの転倒で、日本チームはカナダに敗れて、銀メダルに終わった。決勝への選手温存や選手起用の変更など、金メダルを取るチャンスはいくらでもあったと思っている。
しかし、何事でもそうであるが結果論は誰にでもいえるのである。大切なことは、それまでの過程であり語りつくせない努力だろう。勝負の行方は、天命に任せるほかはなく、努力はウソをつかないのである。
1964年の東京オリンピックのマラソンで、円谷幸吉選手は銅メダルを取ったが、そのことがかえって重圧となって自殺していることをご存じだろうか。従って、メダルを取った方が良かったかどうかは分からないのである。人生は運と不運の連続で、失敗は誰にでもある。失敗しないためには、毎日の練習しかないのである。
一方、北京オリンピック1,000メートルで高木美帆選手が金メダルを取ったが、その時、長野オリンピック500メートルで金メダルを取った清水宏保解説者が、彼女のスケーティングをみてゾーンに入ったといっていた。
ゾーン(無我の境地)とは、アスリートが極度の集中状態にあり、他の思考や感情を忘れてしまうほどスポーツに没頭しているような状態のことで、これも練習によりでき上がるものだと思っている。
私の友人は、無我の境地に近づくために座禅に取り組んでいるらしい。無我の境地とは、己を自覚した者だけが踏み入れられる場所なのである。人間は無我になってはじめて固執、執着、偏見を離れ、人間らしい人間に近づくことができるのではないだろうか。個々人によって異なるが、無我になるためには自分自身で瞑想にふければ良いのである。なお、無我とは無常と共に仏教の基本思想の一つである。
「十勝の活性化を考える会」会員