2016.06.28(火) 延命処置 | ぶん太の奮闘記

ぶん太の奮闘記

錠剤を抜くのに苦労されている方々の為に喜んでいただこうと開発したおくすりパンチを、全国にお知らせするために日々悪戦苦闘しているぶん太の日記です。

オッハー\(^o^)/!長崎は雨!・・・もう三日もチャリに乗らないと運動不足で、ボチボチ危ないと思っていたらやはり久々に丑三つ時に目が覚めちゃいました┐('?`;)┌

 昨日は朝からNHKの「あさイチ」で家族の延命処置の拒否について取り上げられていました。

 大切な家族の最後をだれが決めるのか?本人の希望をを無視して延命処置を取ったことに後悔しているとか、本人の希望通り延命処置を拒否して自分が殺したのではないかと苦しんでいるとか、視聴者からの色々なFAXでの意見も紹介されている様でした。

 私は途中で馬鹿らしくなって仕事に取り掛かりました。介護は百人いれば百様でどれが正しいとかいうことはないのに無理やり枠に嵌めようとしているように思えたからでした。

 例えば私のお袋がしている胃瘻は「延命処置」であると決めつけているように思えました。点滴までは「延命処置」には入れていない様でしたが、点滴がない時代では食べ物が喉を通らなくなったら衰弱して死んでいたのですから点滴も「延命処置」と言える訳で、点滴にしろ胃瘻にしろ生きてほしいという願いから生まれたものだと私は思っています。

 ですから肝心なのは「延命処置」をどう定義づけるかだと思います。胃瘻からを「延命処置」と言うのか、植物人間状態からを「延命処置」というのか、「延命処置」とどこで判断するかということになると思います。

 私のお袋の場合は幻が見えるレビー小体病という認知症と診断されています。

 入院当初は24時間点滴が二か月間続く中で、やせ細りこのままでは死ぬと判断したので、早目に胃瘻をお願いしました。食べ物が食べられないというのはお袋にとってはかなり重要な楽しみの一つが出来なくなった訳です。一日中、ほとんどベッドに寝たきりでもう楽しみはないように思えます。

 しかし、楽しみは食べることだけではなく、唄うこと、お喋りすること、聞けること、目で見ること、香りを嗅げること、夢を見ることスキンシップとかなり限られてしまいますが、少しでも幸せを感じることが可能なので、それを最大限に感じてもらえるように毎日介護を続けています。

 昨日は新しく同室になった方のご家族が来られていました。どうも毎日来られるようで、私と同じ思いをお持ちなのだと思いましたが、胃瘻にはせずに点滴だけで命の尽きるのを見守るということでした。早ければ三月の命となります。

 それが良いとか悪いとかでは決してなく、そこまでが彼女の天から授かった寿命、天命なのです。私が店を犠牲にしてでもお袋を支えているのもお袋の寿命、天命なのです。「すべては天命である」と思えば、長かろうが短かろうが、家族の寿命に関して後悔することはありません。

 ただ「自分は親の介護をしている」と変な嘘までついて政治に利用したりしていたどこぞの都知事みたいなのは、介護をして一生懸命支えている家族にしては迷惑な話ですが(笑)

 と、夜中に書き出すとやはりダラダラとなってしまいました(笑)
さあもうボチボチ二度寝ができるかな?
「ハッピー日記」
◎画像は役得のタコ飯! ネットのレシピを見ながら初めて作ってみましたが、少々味が薄かったので、後で麺つゆを加えたら美味しくなりました☆(^_^)v