ギリギリだった…
提出期限は昨夜23:59
16分前に
私が書いたマーラー考察を足したところ、
『bun先生の足したら、予定文字数の倍になっちゃった!手伝ってもらったのバレるー!』
知るかぁー(゚∀゚💢)笑
でも確かにbunさんは
人の課題だということを忘れ、
途中から楽しくなってしまいました。←
しょーこ先生と、しょーこ先生宅にある立派な音楽事典のおかげで、マーラーがピアノ独奏を遺していないことも考察に盛り込みたくなってしまったのだ(*´ェ`*)笑
論文の起承転結の『結』は言わずもがな
ベトベン、ブラムス、マーラーたちが
現代も楽しまれるオペラやミュージカルといった総合芸術の土台を作った、ということ。
第九を初演当時、あまりにお客さんが入らず
ベトベンはショックで寝込んだそうだ。
ブラームスもマーラーも、より多様な音を使い、
多様な音を重ね、編成を大規模に変えていった。
『こんなの音楽じゃない』
と批判された。つまり
はーでー♪
だ〜ね〜♪
派ー手ーもいいけど〜♪
舞台外まで打楽器溢れるとか
ちょっと行き過ぎ〜♪(中山美穂)
なくらいまで拡大したから
ピアノ独奏なんぞもう興味がなかったんじゃないかなって。
マーラーは
より多くの人を巻き込んで
音楽という舞台や規模を大きくしたかったんだと思う。
古典派からロマン派へ移る過渡期では、
音の種類、厚みをより増やしても、箱(会場)がついてくるだろう、という音楽文化と建築文化のせめぎ合いもあったはず。
現代のようにドームとかアリーナとか?
何万人と入るような箱でコンサートをやるには
それに伴う音量(または音響設備)が必要だし。
まだPAがなかった時代に
大きな箱で、より大規模に上演する、
しかも楽器だけじゃなく歌までつける、
そのバランスをとるのは手探り。
だって、どんな声があるソロでも
100人の合唱を後ろに重ねられたら聞こえない。
じゃあ100人の合唱にバランスの良い楽器の量はどう計算するの?配置はどうするの?
聞くだけじゃ、こんな長時間飽きるじゃん。
ダンスも入れようよ。舞台セットも入れようよ。
ライトも種類増やしてさ〜。
こんな風にたくさんのアイデアが集結して
今の文化になったわけで。
ベトベン〜マーラーたちが作った
『派〜手〜だ〜ね〜』を実現する礎は需要を得て
ちゃんと現代まで発展したんだってこと。
大勢で熱狂するため
音楽というものは
スポーツと同じくらい貢献してる(*´ェ`*)
スポーツのオリンピックがあるなら、
音楽のオリンピックやってもいい気がしてきた。
それを私が論じてどうする。
生徒の課題だ。笑
さいごに
しょーこ先生、本当に有難うございました!
その事典の存在を知れたおかげで、
論文の参考文献欄に1行増えたことは言うまでもありません。
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