鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)の時に神風を吹かせて
国難からお国を救ったことで有名な神社。

御祭神は応神天皇 (第十五代天皇)を主祭神として、
神功皇后、玉依姫命(神武天皇の母君)が祀られています。

この神社では
本殿近くから一之鳥居・二之鳥居となっていて、
「一之鳥居」は慶長14年(1609) に
藩主黒田長政が建立したもので、
貫と笠木が同じ長さの「筥崎鳥居」と呼ばれる造り。





「日本三大楼門」の一つといわれる楼門は、文禄3年(1594)
筑前領主小早川隆景が造営したもので、





その造営の時、亀山上皇が元寇の時に納められた
「敵国降伏」の事跡を拡大して扁額にして掲げたことから、
「伏敵門」とも呼ばれています。
 


実際に見ると、大きいですよ~~キラキラ



鳥居の横にある社号標は、大正3年に
東郷平八郎が揮毫したもの





まぁ彼は日露戦争の時、ここからさほど遠くない
宗像の沖ノ島の近くで海戦をやって
それこそ外敵から国を守ったのでね、

ここの神様の
御神徳に感謝もしていたでしょうから、
当時これを揮毫するには、
最適の人だったんでしょうけどね( ´艸`)



ちなみにこの社殿側から参道の方を見ると、
参道のず~っと先の海岸沿いに赤い鳥居があるのですが、

こうして社殿の正面から参道が一直線に海に延びていることや、
醍醐天皇が「敵国降伏」との宸筆を下賜して、
内陸の筑前大分宮から博多湾沿いのこの地に
遷座されたことを考えると、

この神社は海上交通の守り神と同時に、
外敵から国を守るために置かれたのかな、という気がします。




楼門の先にある拝殿と本殿は、天文15年(1546)
大宰大弐大内義隆が建立したもので、回廊の中には
天正15年(1587)太閤秀吉が九州平定後、
本宮に滞陣して博多町割りなどを行った時、

秀吉が催した箱崎茶会に随行した千利休による奉納と伝わる、
観応元年(1350)の銘がある「利休奉納の石灯籠」も
あるのですが、普段は回廊の中には入れないのでね、

中に入れる9月の放生会の時に見てみてね^^


楼門の前には、応神天皇がお生まれになったときの
御胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納めたしるしとして
植えられたといわれる神木「筥松」(別名「しるしの松」)や




明治37年(1904)に東公園に造られた銅像の原型となった、
高さ約6メートルの亀山上皇の木彫像を納めた奉安殿




ほかにも「蒙古碇石・元寇防塁」などがあります。




社殿の裏手には摂末社があるのですが、






このあたりは表とはまったく違った雰囲気で、
なんだか空気がひんやりとしているので、
こちらにも行ってみてねニコニコ

ちなみに周りはあじさい苑になっているので、
これからの時期には、そちらも一見の価値アリですブーケ2ブーケ2


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