7月27日に父が死にました。
83才でした。
急遽、妻と弟と香川に帰り、通夜、葬儀を取り行いました。
コロナ禍ということで、3人だけで見送ることにしました。
母は入院中なので残念ながら参列できず。
父は昨年くらいから身体が思うように動かず辛い日々を送っていました。
そして今年の1月に転倒骨折し入院、入院後、一気に身体が衰え寝たきり状態になりました。
コロナ禍ということで、面会もままならず。
この酷暑を父は乗り切れるのだろうかと心配してた矢先の急変でした。
葬儀会館を取り、そこで通夜、葬儀を行うことになりました。
誤解を恐れず言うなら、通夜と葬儀、そして火葬ととても幸せな時間でした。
老い、病気、そしてコロナから、父を取り戻した気分というか・・・病院で父の顔を見た時、なんだかチャーミングで「あぁ、楽になったんだな」と思いました。
1月まで父と生活していた知的障害のある弟は、父の顔を見て号泣しましたが、「お父さん、骨になったら一緒に東京に帰れるよ」と言うと「そっか、ずっと一緒やな」と言って、少し嬉しそうでした。
父を葬儀会館に運び、広間に案内され、父の亡骸と一晩過ごすことになりました。
お坊さんが来てお経を唱えてくださって、葬儀社の人と打ち合わせをした後は、もはや弔問客もなく、のんびりとした時間を過ごすことができました。
広々とした畳の間を貸し切り状態、なんだか昔、家族で旅行した民宿みたいで「旅行みたいだね」と僕も弟もややテンション上がり気味。
父が眠る横で、2人で相撲を取ったり、歌を歌ったり、2人でオナラをブーブーしたり(妻に叱られた)、おそらく父も苦笑いしていたのではないでしょうか。
そして寝るときは父の横に僕と弟の布団を敷いて(妻は遠慮して少し距離を開けてくれた)、まさに親子3人「川の字」で眠りました。
翌日、午前中に葬儀を終え、火葬場へ。
ひとつ心残りがあるとすれば、父が大好きだった自宅に戻れなかったこと。
しかしここで奇跡?が。
地元の火葬場が最近移転したらしく、葬儀会館から火葬場へ行く途中で、自宅の前を通ることが判明したのです。
そしてここでも偶然(というか田舎ならありがちですが)、葬儀社が手配したタクシーの運転手さんが、父と弟をよく乗せてた運転手さんでした。
「お父さんが免許返納してから、よう乗せたで。しんちゃん(弟)も覚えてるわ。そっか亡くなったんやなぁ。ほんだら、家の前通る時、ゆっくり行くから、お父さんに家見せてあげような」と。
そんな運転手さんの計らいで、自宅の前からタクシーと霊柩車が徐行してくださって、父は自分で建てた家にも別れを告げることができました。
火葬場は見晴らしのいい高台にある出来たばかりの綺麗な場所でした。
その日も気温35度超の酷暑でしたが、おかげで景色は素晴らしかった。
こんな感じ。
父が骨になる間、喫茶コーナーでくつろぎながら、美しい夏の田舎の景色を眺めていました。
喪服を着た弟が貫禄たっぷりで、親分みたいなので、ずっと「仁義なき戦いの親分(弟)と子分(僕)」ごっこをしていました。
こんな感じ
↓
貫禄たっぷりの弟
弟に「怖い顔して」とリクエストしたら完璧すぎて妻と大爆笑。
最後までフザケてばかりでした。
不謹慎かもしれませんが、父もそんな2人を見て、逆に安心してくれたのではないかなと思ってます。
今回の父の死は、最後に父がくれた夏休み旅行のような時間でした。
父のおかげで2022年の夏は忘れがたいものになりました。
田舎で平凡に真面目に一生懸命生きた父。
家族3人で見送った「国葬」でした。
父がいなくなって淋しいかと聞かれると、実はそうでもなくて。
なぜなら、僕はここ数年毎日、父に会っておりまして。
どうやら歳を重ねてきて、僕はどんどん父に顔が似てきているようで。
毎朝、鏡の前に立つと、そこに父にそっくりな男が。
あぁ、オトンがおるやんけと。
父にどんどん似てくるのが嫌に思える時もあったけど、今はまぁ、いいかな、と。
そんなわけで、悲しさや淋しさよりも、楽しいことの多かった通夜と葬儀でした。
はしゃぎすぎましたが、オトン、許してくれ。
骨になった父を骨壺にしまう時、弟が「お父さん、頑張ったな」と言った時だけ、ちょっと泣きそうになりました。