ゆりかごコースもやはり片側だけが崖のようになっていた。
4人は、いまやボードを脱いでコース左側の崖下を覗きこみながら、コースロープ沿いを歩いている。
まだコースの中間地点にも差し掛かっていないが、あまりの人気の無さに不安が増す。
崖の下は暗くて、よく見えない。
時間をかけて、何も見逃さないように。
そして、何も聴き逃さないように時間を空けてQQの名を呼ぶ。
ボードの上に腹這いになり、ずるずると犬掻きをするように前進していると、ゴロゴロした雪の塊が目立つようになってきた。
不自然に雪が流れた痕跡。
やはりそうだ。俺はこの先から流されてきた。
そう確信して、波をキャッチしたサーファーのように上半身をグッと押し上げると、木々の間から僅かに覗く空が、オレンジ色に淀んでいるのが見えた。
朝焼け?...いや、後ろではまだ星が煌めいている。朝焼けなんかじゃない。
...照明だ。ナイターの、照明だ!
俺は体勢を戻し、開けたスペースを探しながら必死で前進した。
「あ。あーっ!!」
先頭を歩いていたPESが、突然叫んで走り出した。
3人とも、すぐ後に続く。
PESが地面から何か拾って雪をはたき、3人を振り返る。
PESの手には、小さな黒い板のような物が乗せられていた。
KILL YOU BOTH
ちょっとどうかと思うフレーズが赤字で書いてある、カッチカチに凍った黒いニットキャップ。
間違いなくQQのものだ。
崖の手前で見つけた広めのスペースで、俺はボードの上に座ったまま叫んでいた。
「誰かー!誰かー!」
大声を出しているつもりだが、酷く掠れている。
とてもじゃないが、崖の上までは届かないだろう。
それでも俺は、死にもの狂いで叫び続けた。
4人は、ニット帽を見つけた場所から崖下に向かって声を合わせる。
「QQーー!!QQーー!!」
…返事はない。
その事実が示す結末はどれも不吉で恐ろしかった。
ふいに浮かんでくるイメージが胸を抉る。
大怪我を負い意識を失っているQQ、深い雪に埋もれて身動きできずにいるQQ、シャイニングのジャック・ニコルソンのように鬼の形相で凍死しているQQ。
そのイメージをかき消そうとするように、4人はまた叫び始める。
「QQーーーー!!」
俺、呼ばれた?また幻聴か。
...いや、今、俺、呼ばれた!!!呼ばれてる!!!
「みんなーー!!!おれー!!ここー!!!」
こんな声じゃ無理だ、聴こえる筈がない。
あいつらが、近くにいる。近くにいるのに、俺の声は届かない。
嬉しさと悔しさが入り混じった、何だかわからない感情で目頭が痛い。
あいつらに、会いたい。どうしても、会いたい。
俺は泣きながらグローブを外し、雪の中に降り立った。
頼む、届いてくれ。
涙で歪む崖のてっぺんを睨み、俺はグローブを全力で投げた。
捜す範囲を拡げるため下流に向かっていたI’sが、ロープに引っかかって揺れているグローブを発見した。
KILL ‘EM ALL
白地に赤文字、穏やかでないメッセージ。
「こっち!!みんな!早く!!こっち!!」
QQのグローブを発見したI’sが、皆を呼び寄せた。
「凍ってないじゃん!!すぐ近くにいるよ、きっと!!」
グローブを手に取ったPESが発言するや否や、I'sが目にも止まらぬ速さでロープを飛び越え、崖下に消えていった。
「え、うそ」
「...えぇ~」
「...あいつ、どうやって戻ってくるつもりだよ」
俺は、恐怖のあまり、すんって感じで泣き止んだ。
崖が、また崩れたように見えたからだ。
しかし、雪崩ではなかった。転がり落ちてきたものも、雪の塊ではない。
一瞬熊かと思い尻餅をついてしまったが、俺の目の前で全身雪まみれのまま立ち上がったのは、I’sだった。
白のI’s。
ロードオブザリングで白のガンダルフが初めて登場するあの名シーンのインパクトを、I’sが軽く超えてきた。
「あ、I’sーーーーー!!」
「QQ!!大丈夫!?」
鼻の穴に詰まった雪もそのままで、崖に向かって大きく両手を振りながらI’sが叫び出す。
「おーい!!!QQ、いたーーーー!いたーーー!!!」
視線を上げると、崖の上でオレンジ色を背にこちらを覗き込む3人のシルエットが見える。
「QQーーー!!!」
「KTR!!!ABEちゃん!!PESーー!!」
俺は、また溢れ出てきた涙を堪えながら、全力で応える。
「いやQQ、その声じゃ聴こえないから」
こいつ容赦ねぇな。
I’sはジャケットの内側から鈍い銀色に光るものを取り出し、俺に渡した。
...I’s、ついに酒持ち歩いてんのか。
俺は、フラスクの飲み口をひび割れた唇につけると、強いブランデーの香りに激しくむせながらも全て飲み干した。
香り高い液体が、喉から食道へと火をつけながら走っていくようで、最高に心地よかった。
「助けてーーー!!」
突然I’sが崖の上の3人に向かって叫び始めた。
WOW。
…まぁ、そうだよな。見たところ、ロープとか持ってきた様子ないしな。
「うん、だよね」
「まぁそうなるわな」
「ほんと、すごい人」
I’sのSOSを受けた3人は、コースロープを使うため繋いであるポールを引き抜こうとしたが、予想以上に深く刺さっているのだろう、3人掛かりでもびくともしなかった。
他に何か、と周囲を見渡している時、KTRとPESがABEに目を留めて顔を見合わせた。
「ABEちゃん、ちょっと、ウェア脱いでみる?」
「え?なんで??俺、寒いよ??」
「ABEさん、お願い、ちょっとだけ。ほんとすぐ終わるから、脱いで?」
「すぐ終わるから脱げ、って、えぇ?そんなんでいいのぉ?すぐ終わっちゃうなら俺脱ぎたくないよぉ?」
「いいから脱げよ」
お約束のパターンで一通り笑った後、ABEは赤いツナギを脱いでKTRに渡した。
「さっぶ!!さぁっぶ!!」
何故かVネックのインナーを着てきてしまい、もじもじと胸元を両手で温めているABEの肩に、PESが自分のジャケットをかけてやる。
KTRは、赤いツナギの左右の裾をしっかりと結び合わせ、袖には片方ずつ結び目を作った。
「今から掴まるもの下ろすから、手が届くとこまで来て!」
KTRは両袖をPESとABEにそれぞれ持たせ、自分はポールに脚を絡ませ上半身を崖の上に出して、ツナギを下へ垂らした。
俺はI’sにボードごと引っ張ってもらい、既に崖の下で待機していた。
「QQ、あれ、届く?」
「うん、大丈夫」
I’sにケツを支えられながら、俺は頭上に垂れている輪っかを両手で掴む。
「できれば、腕通して!!」
KTRの声に従い、精一杯伸びて腕を通すと、あっと言う間に崖の上に引き揚げられた。
雪の壁面に擦られてウェアの中まで雪まみれになったが、不思議と冷たくなかった。
よかった。またみんなに会えて、よかった。
PESとABEに支えられて硬い雪面に立ち上がった時、その喜びが涙になって溢れ出した。
「I’s、どうする?」
「向こう4日分くらいのカロリー摂ってたし、今日はいいんじゃない?」
「いや助けてあげてー」
涙でグショグショの顔を手で擦り、俺は赤い布の一端を掴もうとした。
あれ、これ、ABEのウェアだな。
ABEをよく見ると、下半身はスパッツだけだった。ABEちゃん、すまん。
「QQ、いいよ。そこに座ってなよ」
こんな腕じゃどのみち役に立たないか...。
俺は、PESに手渡されたカイロを握りしめながら、再び崖の下にツナギを垂らす3人の背中を見ていた。
「おもっっ!!」
「ちょっと!無理無理無理!俺、ウェア破れたら泣くよ!?」
「ヤバい!KTR大丈夫!?」
PESがKTRの身体を支えに行ったので、俺は思わず駆け寄りツナギを掴む。
「せーのでいくよ!....せーのっ!!!」
ガリガリガリっという硬い音に続いて、白のI’sが水揚げされたマグロのようにコース上に投げ出された。
I’sの左足には、俺のボードがしっかりくっついている。
俺は、座り込んだ4人の真ん中でうずくまり、掠れた涙声で繰り返した。
「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」
4人は、ナイター終了の放送をBGMに泣きじゃくる俺の背中を、何も言わずに摩り続けてくれた。
すっかり気が抜けて歩くことすらままならなくなった俺は、KTRとI'sに担がれて麓まで下りた。
事故かな?事故なのかな?途中2回程落とされた。
ただ、痛くも痒くもなかった。
雪が柔らかいから、というだけではない。
皆といることが本当に嬉しくて、楽しくて、それ以外何も感じなかった。
…もしかしたら、さっき空きっ腹に流し込んだブランデーのせいなのかもしれないが。
「右に曲がれたんだよ俺は!プンって、俺は!プンってさ、そしたらさー」
「わかったからさぁ、もう寝てーマジでー」
「誰だよこいつ発見した奴」
「てか何でこんな酔っ払ってんの?ラーメン屋で2杯飲んだだけじゃん」
「…た、助かって安心したからじゃね?」
俺たちは下山早々ラーメン屋へ向かい、その後風呂に入って、今はまたホテルの部屋でカードを競い合っている。
ただ、痛くないから大丈夫、と病院に行くことを拒絶した俺は、代わりにポーカーはせずしっかり寝ることを約束させられていた。
不器用に貼られた額のガーゼ、意味があるとは思えない謎の腰痛サポーター、今はもうカチカチになって熱を発しないカイロ、買ってもらったお土産メンマ。
皆がしてくれた全てが、大切な宝物のように感じられる。メンマはもう食われたが。
酔いも合い混じって嬉しさが収まらない俺は、痺れを切らしたKTRに静かに絞め落とされるまで、喋り続けた。
手慣れたスリーパーホールドに甘んじて、ゆっくりと瞼が下りていく。
暖かい部屋で、皆の声とチップの音を聴きながら、俺は幸せな眠りに降伏した。
~終わり~
Thank you so much for reading, everybody!
I'm still excited by the fact that I could finally make the right-turn on the snowboard!

