大久野島に上陸しました。
ハッキリと覚えているのは、戦争中の毒ガス製造所跡。
でも、ここは資料館。
こんなのはなかったような気がするけれど、、、
レンガ造りのデカい壁の建物は記憶がある。これとは違うな。
時間に限りがあるので急ぎ足で移動。
今どの辺だ?
宿泊した国民宿舎を見よう。
コレか(・_・)
どうやらコレっぽい。
休暇村なのか。記憶はエエ加減。
ココなんだよな。
何故ココが宿泊地になったのかは、十代の頃の私には全く分からず。
ウン十代になった今の私にもさっぱり分かりません(゚Д゚)
まあでも、来られただけでヨシでしょう。
あの時には有名でなかった生きものがいるそうなのですが、
いました(^-^)ウサギさん。
いるわいるわ。
まだ時間があるので、勉強を。
ビジターセンターあるあるな展示施設。
何だこりゃ?
あまり勉強にはならなかったです。
こういうのがまだ残っている。
この日は、
暑すぎて日陰でウロウロしているウサギさんが多かったです。
グダグダですよね。
観光客の多くはウサギさん目当てなんでしょうか。
私には毒ガス製造の印象が強すぎます。
桟橋の近くに戻ってきました。
ウサギの耳がモチーフになったものがありました。
高校生だった私にはこの海の記憶は残っていないんだよなぁ。。。
桟橋にはシースピカ。
静かに待っています。
反対側に回ります。
ぼちぼち戻りましょうか。
最後にウサギさんにごあいさつ。
また来ることは、、、シースピカに乗らない限りないだろうなぁ(´。`)
乗船客のみなさんも戻ってきました。
みなさん、ちゃんと時間を守ります。
乗り込みます。
たった30分間でしたが、ウン十ウン年ぶりの大久野島を楽しみました。
実家に帰ったときに、大久野島の写真はないか探してみました。
すると、ありましたよ(^^;)
スナップ写真が一枚だけ見つかりました。
10月8日とあります。
今回訪問は10月9日。偶然にも全く同時期です。
比較対象の画もありました。
こちらです。
松の木や国立公園の碑はなくなっていましたが、
錆びた桟橋の欄干や、向こうに見える島の形状は全く同じですね。
ウン十ウン年の時の流れは、
私をお○さんにしましたが、
この環境は変わらず残っていたのがうれしかったです。