題名:Bumi Cinta(『愛の大地』)
著者:Habiburrahman El Shirazy
出版社:Author Publising (2010年)


インドネシアを読む-bumi cinta


前回に引き続き、エル=シラジーのイスラーム恋愛小説 “Bumi Cinta”。

舞台は真冬のロシア。

異様なまでに(失礼)信心深い主人公が、ロシアのマフィア、イスラエルのユダヤ至上主義過激派組織、三人の
ロシア美女と絡んで、その三人の美女のうちのふたりを敬虔なるムスリマに変えてしまうという大立ち回りを演じるのですが、濡れ衣(今回は未遂)、信仰の力、ふたりの美女からの思慕(三人のうちのひとりは結局主人公の親友と結ばれるので除くとして)、そのうちのひとりの死という道具立ては今作でも健在です。Cinta(愛)は、まだまだ続くのです。

中東で学位を取得した後、さらにインドに留学してイスラーム史を研究中の生真面目な青年アッヤスは、博士論文を完成させるために、ロシアの高名な歴史学者のもとで半年の予定で研究生活を送ることになり、厳冬のモスクワにやってきます。

ロシアに住む同じくインドネシア人の旧友にアパート探しを頼んでおいたところ、その友人が見つけてくれていたのは三寝室つきのアパートを三人でシェアする形態の住居でした。しかも二人の同居人は美貌のロシア娘。こんなところに住んでいたら信心が揺らいでしまうと本気で怖れながらも、当座はどうすることもできず、慣れない環境での暮らしが始まります。

おまけにモスクワ大学に行ってみれば、当の歴史学教授は急に長期海外出張が決まってしまい、代行としてアッヤスの指導を任されたのは、これまた美貌の若き歴史学博士アナスタシアでした。

どこに行っても美女、美女、美女。結婚するまでは不犯の教えを堅持しようとするアッヤスは毎日薄氷を踏む思い。美女を見るたびドギマギと動揺し、そのわりには相手の気を引くような賛辞をしれっと、しかも長々と述べたてたり
して、このアッヤスという男、実は結構いやなヤツなのですが(笑)、そのあたりは敬虔なるムスリマの方々から見れば、また評価が違ってくるのかもしれません。

さて、アッヤスのふたりの同居人は、いずれも裏の顔を持つ美女でした。きさくで明るいイェレナは観光ガイドと称しているものの実は高級娼婦。冷たい美貌のリノルはヴァイオリン奏者ですが、ほんとうはユダヤ系ロシア人で、亡父の遺志を継いでユダヤ至上主義の過激派組織の秘密工作員として数々の悪事に手を染めていたのです。

イェレナはかつてムスリムと結婚し一子をもうけていたのですが、離婚して家族も神も捨て、今は売春をしながら気ままに日々をおくっています。ところが客に暴行された上に真冬の路地に放置され、危うく凍死するところをアッヤスに助けられたことをきっかけとして、またアッヤスが熱く神を語る言葉を聞いて、神への信仰を取り戻します。

リノルの所属するユダヤ過激派組織は爆弾テロを計画、反イスラーム気運を盛り上げるために、アッヤスを犯人にしたてようとし、リノルはアッヤスの部屋のベッドの下に爆弾を作る材料を入れたリュックを忍ばせます。ついでにアッヤスを誘惑しようとしますが、失敗して激怒。

テロ実行日前にモスクワを離れて母の住むウクライナへ行きますが、そこで思いがけない自分の出生の秘密を聞かされます。実はユダヤの血など一滴も流れておらず、産みの母はパレスチナのムスリマで、1982年のパレスチナ難民キャンプでの大量虐殺事件で犠牲になったのでした。ボランティア医師として難民キャンプで働いていて、生後まもないリノルを引き取った育ての母は、リノルを実子として育て、その後ユダヤ人の実業家と結婚、夫が実は過激派組織の一員であることを知り、離婚しようとしますが、リノルを殺すと夫に脅されて断念。夫の死後、ようやく真実を娘に打ち明けることができたのでした。

衝撃を受けたリノルは、組織からの追跡をかわすべく、自分によく似た娘をかどわかして殺害、自分が殺されたように見せかけて、その後母の勧めに従ってベルリンに住む母の旧友のムスリム一家のもとに身を寄せます。

一方、モスクワでは爆弾テロが起き、アッヤスが容疑者であると警察が発表しますが、アッヤスはその数日前に信仰に関する学会で発表して話題になったことがきっかけで、テロが起きた時間帯には偶然にもTVのトークショー生番組に出演中でした。明らかなアリバイがある上、偶然にもテロ前日に引っ越しており、イェレナがベッドの下のリュックを見つけたものの、アッヤスが自分のものではないと言ったので、イェレナは鞄だけ自分のものにして中身は捨ててしまっていたので、警察が踏み込んできたときには証拠物件はなにもなし。

在モスクワインドネシア大使館の迅速かつ断固たる対応の前に、モスクワの警察、誤報を流したTV局、さらにはロシア外相までアッヤスとインドネシア国民に対して正式に謝罪をするにいたります。

長くなってしまったのではしょりますが、アナスタシアはアッヤスに恋してしまうものの、あまり相手にされず。イェレナはアッヤスの友人のインドネシア人に、つきあってたわけでもないのにいきなり求婚されて承諾、2日後には再びムスリマとなって結婚することに。

リノルあらためソフィアはとうとうイスラームに改宗。改宗前にベルリンへ向かう列車内で見た夢に実の母があら
われ、罪を洗い流すには一日五回神の前に拝跪し、さらにユスフのような誘惑に負けない伴侶を得る必要があると言ったのを思い出して、そんな男はアッヤスしかいないと思い決め、組織の連中に見つかって殺されるかもしれない危険を冒してモスクワに潜入します。

アッヤスのアパートへ行ってすべてを打ち明け、求婚するソフィア。アッヤスはもちろん仰天し、返事はしばらく待ってほしいといってソフィアを帰しますが、ソフィアが出ていったとたんに急に恋慕が押し寄せ、歩き去るソフィアを窓から見つめます。と、ソフィアの後ろから接近した車が突然発砲。倒れたソフィアを抱いて通りがかりの車に乗せてもらい、病院へ向かう途中でソフィアは息を引き取ってしまうのでした。

あらすじだけでずいぶん長くなってしまいました。
サスペンスやら無神論撃破やらイスラーム称賛やら、いろいろと盛り込まれた力作です。

…が、もちろん突っ込みどころは満載でして。

たとえばリノルは何人も殺めていて、とりわけ最後に殺した女の子なんて、ほんとになんに罪もなく関係もない人なのに、いくらイスラームに入信したからといって、その罪も許されるどころか思い出しもしないってどうなんだ? 
とかね。

アッヤスだって実はひとり殺してるんですよ。リノルがロシア・マフィアのボスの右腕の男をアパートにつれてきて居間でいちゃついているところにアッヤスが気合わせ、気まずいことになったあげくに暴力沙汰に発展し、アッヤスは身を守るために奥義tenaga dalamを使って相手を倒します。倒れた男を処分しようとリノルが車で郊外に連れ出しますが、その途中で男は死んでしまい、リノルは浮浪者に見せかけて死体を遺棄。正当防衛で過失致死で、さらに死んだことをアッヤス本人は知らないとはいえ。

それから、アッヤスには以前婚約者がいたのですが、その女性がアッヤスを「自由にしてくれた」とのこと(要するにふられた)。なのに、アッヤスはまだその女性に忠誠を誓っていて、まだその人が結婚していなければ、帰国後結婚したいと思っており(ふられたのに)、学会での発表後に感動したアナスタシアに頬にキスされただけで、自分は汚れてしまい、その元婚約者にはもうふさわしくない身となったのではないかと嘆いて泣いたり。そのわりには、ソフィアに求婚されたとたんにその元婚約者のことなんて忘れ果て、いきなりソフィアが好きになってしまったり。

まあ書き出すときりがありませんので、このへんで。

それにしてもエル=シラジーの小説の主人公の男はなぜかくもモテるのか?

非常にまじめでウブで信心深く、インテリで話がうまく理屈っぽい、というのはポイントが高いのでしょうか? 
“Ayat-ayat Cinta” の主人公もそんな男で、あれが映画化されたとき、映画を見てきた女の子がTVでインタビューされてましたが、主人公のことを「理想の男性」と言ってましたが…。

でもねえ、アッヤスのように、寝過ごして夜明け前の祈祷の時間に遅れたからといって泣いたり、身内でない女性にほっぺにキスされたからといって泣いたり…て、どうなんでしょうねえ? 不信心者にはうかがいしれない心理がそこには潜んでいるのかもしれません。