題名:Anak Bajang Menggiring Angin(『捨て子が風を追う』)
著者:Sindhunata
出版社:PT. Gramedia Pustaka Utama
発行年:1983年 1月



題名:Kitab Omong Kosong(『虚言の書』)
著者:Seno Gumira Ajidarma
出版社:PT. Bentang Pustaka
発行年:2004年 6月




インドネシア文学を読むために欠かせないのが『ラーマーヤナ』。インド起源とはいえ、インドネシア諸島に伝えられて以来、ワヤン等を通じてジャワなどの文化に深く根を下ろし、インドネシアの現代文学の中にもさまざまな形で引用されています。

最近、インドネシアでも『ラーマーヤナ』のさまざまな新訳が出版されていますが、こういう古典は、現代語訳されていても、なかなか読み通せないもの。

そこで、『ラーマーヤナ』の翻案、『ラーマーヤナ』を語り直した小説を読んでみることをお勧めします。

$インドネシアを読む-anak bajang

まず、シンドゥナタ著の “Anak Bajang Menggiring Angin”。ラマとシンタの愛と葛藤の物語をジャワの視点から語り直したこの作品は、1981年にコンパス紙日曜版に連載され、1983年に単行本の初版が発行されて以来、版を重ねて読み継がれ、高校の教科書などにも採用されている名作。

ラマとシンタの物語だけでなく、ラマの仇敵ラーワナの母であるデウィ・スケシと世界の奥義サストラ・ジェンドラを巡る物語、ラーワナにさらわれたシンタ奪回戦でラマを助けた猿王スバリとスグリワが、元は人間だったのに、母が持っていた森羅万象を映す神秘の小函を奪い合って父の怒りに触れ、呪いで猿になってしまった話、ハノマン誕生譚など、ジャワ版『ラーマーヤナ』の世界を堪能できます。


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二冊目のセノ・グミラ・アジダルマ著 “Kitab Omong Kosong” は、『ラーマーヤナ』の後日譚ともいえる物語。

仇敵ラーワナを破ってシンタとともにアヨディヤ国に帰還したラマは、時を経て人が変わったかのごとく、インド亜大陸を恐怖に陥れます。白馬を放ち、その白馬のゆくところ、アヨディヤに降伏しない国はことごとく大軍をもって踏みつぶしていくのです。

それに先立つ14年前、シンタは身重の体でひとり森をさまよっています。ラーワナのもとから救い出されたものの、
貞節を疑われ、ラマの前で貞節の証しとして炎の中に身を躍らせたシンタ。ところが民人たちの疑念はおさまらず、王宮を捨てざるを得なくなったシンタを、ラマは追おうともしなかったのです。ラマを恨みながらさまようシンタを救ったのは、ワールミーキという老人でした。

ワールミーキの庇護のもとでシンタはラワとクサという双子の男の子を産み、シンタの身の上話を聞いてワールミーキは『ラーマーヤナ』を書いていきます。

そんなある日、少年ラワとクサは疾駆する白馬を見つけ、アヨディヤ国の魔の先駆けの馬とも知らず、それを素手で捕らえ、ラマの弟ラクスマナの率いるアヨディヤの大軍と対戦することになり、たったふたりで、次から次へと押し寄せる軍勢を翻弄します。

ハノマンにも助力を拒絶され、自らの非を悟り、ふたりの少年を負かすことができないことを悟ったラマは、ふたりを王宮に招きます。王宮で、ふたりはクチャピスリンを奏でながら『ラーマーヤナ』を語り始めます。

話は変わって、とある町の娼館に、生まれつき背中に馬の刺青のあるマネカという娼婦がいました。ある晩、一頭の白馬が町を駆け抜け、娼館のマネカの部屋の窓に飛びこむのを町の人々が目撃します。マネカの背の馬は、アヨディヤ国の魔の使いの白馬と瓜二つだったのです。自分の運命が『ラーマーヤナ』の作者ワールミーキに握られていることを知ったマネカは、娼館を逃げ出し、ワールミーキを探す旅に出ます。

旅の途上でマネカの危難を救ったのは、アヨディヤ国による襲撃で両親を失った少年サティヤでした。ふたりはともに旅を続け、ついにハノマンの著した『虚言の書』を見つけ出します。

ラマとシンタの、マネカとサティヤの、ラワとクサの、ハノマンの、そしてワールミーキの、さまざまな物語が絡み合って、ひとつの大きな流れとなっていきます。単なる『ラーマーヤナ』の語り直しや後日談ではなく、これは物語についての物語でもあるのです。

舞台はインドですが、ジャワ/スンダの語りの世界の懐深さを感じさせる一冊です。

この物語全篇の背後に流れるのがクチャピという弦楽器とスリンという笛で奏でる音楽。ぜひクチャピとスリンの風のような音楽を流しながら『虚言の書』をお楽しみください。