夕雲流剣術書の最初の方に

「古の武士は戦場に行く事に対して運と覚悟で臨んだ。」

とあります。

 

この言葉は、当時(1700年前後)の剣術道場の事情を

説明しなければ、伝えたいことが伝わりません。

 

この頃は、現代の武道と同じく

「やれ奥義だ、ほれ免許だ。

俺の先祖は何々だ、我が流派の開祖は誰々だ。」

このような物がステータスであり、また この時代の武士も

これを望んで、それらを得て、“さも一流の武士”と

思い込む者が多かったからと言う事情があります。

 

だから夕雲先生や一雲先生は

「武士は道場での優劣を競ったり、見栄えの良い動きを覚えても

戦場では何も役には立たない。」

 

「じゃあ、古の武士は

何流の何技や何免許を得て戦場で戦ったのか?」

と言う疑問に対して

「運と覚悟で臨んだ。」

 

「運と覚悟では、戦えないと思う!」

と言う問いには

「当時の武士は忙しく、そもそも武術を学ぶ時間が少なかった。

今(1700年前後)のように、暇はなかった。」

 

「でも、運と覚悟だけでは勝つのは難しいですよね?」

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「運の強い侍は、何回も戦に出て生き残り活躍をした」

 

「デモデモダッテ、剣術は術や奥義があって・・・」

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「じゃあ、今から流派の成り立ちの話から、

心の剣の話までしよう。」

 

このような入り方で夕雲流剣術書を読むと

理解は早いかもしれません。

 

また確たる証拠はありませんが

夕雲流剣術書で“ある事”に気が付きましたので

そのうち、それもup予定です。