最初に

居合道の1本目の型の説明をします。

1、抜刀後の初手は”敵の胸を割く”。

2、振りかぶって上段から”敵の頭を斬り割る=死”。

この型は 人を殺すことの説明がなされています。

 

この時に生じた疑問です。

「人が死ぬという事は、どのような意味があるのか?」

意味を回答できる指導者は少ないのではないでしょうか?

   

もちろん、

心臓が停止をした、脳波がない、

瞳孔が開く・・・・

これも間違いではありません。

  

   

では人が死ぬ、と言う意味を

心の剣の立場から回答をしたいと思います。

 

人は無理に殺さなくても

誰でも何時かは死にます。

そして敵ではなく、愛する人が死ぬことも

多くあります。

 

さて心の剣の立場から回答する答えは

「人は死ぬと、心を教える先生となる。」

です。

  

はて?

と思う方も多いかとは思います。 

心の教えとは何か?

と言う事ですが、1つには

「誰でもいずれ死にますよ。」

と言う無常を身をもって教えてくれていることです。

   

また有名な話では

「青葉の笛」

の熊谷直実と平敦盛。

ここでも平敦盛は熊谷直実の”心の先生”になっています。

 

諺にある

「孝行したいときに親は無し。」

これは、感謝をしたいと思ったときは

すぐに行動に出ないと、思うだけで終わってしまう。

この事を説いています。

     

また、死ぬと言う事は肉体の因果です。

生まれるという原因によって、死ぬという結果が生じます。

生死と言う因果は、完全には解消できないことが理解できます。

また生死の因果とは解消するものではなく、

その事から多くを学ぶための業であることにも気が付きます。

 

さて心とはムネの事です。

よくある「胸の内」と言う言葉の通りです。

そして、心とは胸でありでもあります。 

宗(ムネ)を教える・教わるとは?

これが宗教です。

 

なお仏教では人は死ぬと「仏」になり、

神道では「神」になります。

つまり、仏や神(=死後)とは

「心の事を教え伝える存在。」

です。