大人マネーで「鬼滅の刃」を買ってしまいました。

 

今回は登場人物の「黒死牟(こくしぼう」と感謝について

記述をします。

 

黒死牟が人であるときの名は、継国巌勝。

由緒正しい侍の出。

 

彼は双子の兄であり、剣に秀でた弟がいました。

弟・・・名は縁壱(よりいち)

縁壱は天に愛された存在でした。

 

巌勝は、天に愛された弟を妬みます。

その嫉妬心から生まれた物が「憎悪」です。

憎しみから誕生するものは何か?

怒りです。

 

 

彼は怒りに支配された状態でした。

仏教では、これを

「一日に三回も熱湯を飲んで、全身から火焔を発している状態。」

と表現をします。

 

さて縁壱は「日の呼吸」を使うことが出来ました。

日の呼吸とは、武道で言えば免許皆伝のようなものです。

しかし、同じ程度の身体である兄の巌勝は

日の呼吸を使うことが出来ません。

 

何とか得れたものは

「月の呼吸」。

武道で言えば、准免許と言ったところでしょうか?

 

その後、道勝は嫉妬、逆恨み、怒りの感情に支配されると同時に

寿命に対する恐怖にも支配されます。

 

 

恐怖に支配された道勝は、永遠の命を得るために

鬼になることを決め、鬼-黒死牟として

新たな生き方を始めました。

 

さて、道勝が日の呼吸を使えない理由は何か?

道勝が鬼にならないようにするには、何が必要だったのか?

縁壱が生まれてこなければ良かったのでしょうか?

とっとと縁壱が死ねば良かったのでしょうか?

 

「天に愛された者(縁壱)を、

わが弟して誕生させてもらえたことへの感謝の念。」

 

巌勝が日の呼吸を使うために必要だったものは

怒りを鎮め、憎しみを捨て、天に感謝をする事。

これだけです。

 

 

天が

「巌勝に縁壱を預けた理由は何か?」

 

天が巌勝を信用していたから

その信用に応える事が出来たときに

巌勝にも日の呼吸が顕れたのでしょう。

そして短命の宿命からも逃れられたかもしれません。

 

   

 

さて鬼滅の刃の「鬼」を無想剣(夕雲流)で考えた場合、

夕雲剣術書にも記されている

「畜生心」

に過ぎません。

巌壱の言う「醜い姿」とは

畜生心が表に現れた状態です。

 

無想剣の本質は、我欲(鬼、天狗、畜生心)を捨て

真人間に向かう事。

 

剣で勝った負けた。

素早い抜刀。長物が云々。

それらは余技に過ぎません。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

武好会

 

毎週土曜日 15:00-17:00

亀井神社(神奈川県藤沢市亀井野554)

https://bukokai.jimdofree.com/