斉天大聖とは?
「天に等しい聖人。」
「天と同じくらい偉い人。」
このような意味があります。
そして斉天大聖を自認するエテ公は
72の術や技を持ち、重さ8tを超える如意棒を操り
一瞬で十万八千里を飛ぶ筋斗雲を所持しています。
このエテ公が言うには
「俺はたくさんの事が出来るし、
良いものを所持していている。
だから天にも等しい存在である。」
と言うわけです。
調子に乗るエテ公は仏にも挑戦します。
多くの術技を持ち、肩書は「天に等しい偉い人。」。
良い武器と良い乗り物を持っていても
エテ公の力は、仏の前には通じませんでした。
エテ公が世界の果てだと言った場所は仏の手の平の上。
多くの術技を得て、立派な肩書を名乗り、
良い道具を持ってしても
何の役にも立たなかったお話です。
このお話は何を伝えたいのでしょうか?
これは「心」を説いたことに他なりません。
斉天大聖を名乗るエテ公を、心に例えるなら
「畜生心」
仏はそのまま
「仏の心」あるいは「義と信」
を示します。
仏の心は畜生心に対して改心のチャンスを与えています。
結果、斉天大聖様様は改心し、仏の弟子たる玄奘法師の
付き人として新たな道を歩みます。
その改心のチャンスを与え、結果「許す」と言う部分までを
仏の心、義や信と申すのでしょうか?
しかし、いくらチャンスを与えても、
改心の「か」の字すら出来ない者も現れます。
こうなると仏もスプーンを放り投げます。
そして最後に仏から
「ほっとけ」
と見捨てられてしまいます。