努力の仕方 | 仏光さんの心の相談室

努力の仕方

昨日もお昼に泳ぐことができました。でも今日は体を休めます。毎日水泳するのは私にとっては良くないと思っています。自分の健康を保つために水泳をしていますが、やはり過ぎたるは及ばざるがごとしになるのですね。身体を休ませるのも立派な健康法です。だから私は水泳は週3回と決めています。一週間に1000mを3本泳ぐのが私にとっては一番良いみたいです。まあそれでも3000泳ぐわけですから、全く運動しないのと比べると健康に対して天と地の差があります。


私はこの水泳を努力だとは思っていません。何故なら自分が楽しいからです。泳ぎ終わってからの爽快感がたまりませんね。最初は努力だったかも知れないけれども、やっているうちに楽しみに変わってきたのです。これは仏道修行も同じですね。最初はちょっときついけれどもやっているうちに楽しくなるし、やらないと何か気色悪くなります。人は努力と言うかも知れないけれども、本人は楽しみでやっているのです。


努力をした先に栄光が待っているというのは最高ですが、世の中そうは問屋が卸さないことになっています。いくら努力しても報われない事も多いのですね。基本的に努力の仕方が間違っているのです。努力と言うと苦しいイメージが付きまといますが、まあ大概の努力は最初はそうでしょう。お釈迦様も何年も食うや食わずの苦行の努力をされました。自分の体を痛めつけることによって、心の自由と平穏を得ようとしたのですね。食べるものが無くて、鳥の糞まで食べたというから相当苦しい努力です。


でもそれだけ努力したのにもかかわらず、何も得られなかったのです。何年も苦しい苦行をして結果として何も得られなかった。普通ならこの努力が実って大きな悟りに至るというのであれば、映画やドラマの筋書き通りになるのです。ちょっと古いかも知れませんが、映画ロッキーなどはそうですね。私達は努力をしたから報われなければならないと感じるのです。しかし、現実はお釈迦様の苦行のようにそれ自体が必ず報われるという事はありません。


では何も報われなかったかというと、そうではなかったのです。お釈迦様はこんな苦行は役に立たないと思って、村の娘スジャータが差し出したミルク粥を食べて川に入って沐浴をしました。まともなご飯を食べるのも、体を洗うのも何年ぶりだったのです。そこで「極端はいけない」という中道という悟りを開いたのですね。これは苦行をしなければ分からなかったことです。全く無駄に終わった苦行の努力があったからこそ開けた悟りですね。


私は人生ではこのようなことが結構多いと思います。栄光を夢見て努力して、それが報われないという事が結構あります。努力の仕方が間違っているのですね。いずれにせよ、お釈迦様の様に途中で自分の努力の間違いに気づいて、努力の仕方を変更すれば良いのです。それを試行錯誤というのですね。しかし、報われなかった努力が全く無駄になるかというと、全然そんなことは無くて、無駄な努力から学ぶことも多いです。だからそれは失敗ではなくて、失敗という成果なのですね。


大体人生などというのはこのような実を結ばない努力があるという事を自覚しておくべきです。私の人生を振り返ってみるといっぱい失敗という成果もありましたが、思ったような結果が出る努力は、やっていて楽しいものが多いですね。その時はちょっとしんどいのだけれども、やっていること自体が楽しいというものであれば、それは正しい努力なのだと思います。


中には嫌な事を我慢しながら続けるのを努力と思っている人も居ますが、それは違うと思います。まず結果は出ません。オリンピック選手でも血がにじむような努力をしますが、それができるのは本人はやはりそのスポーツをすることが楽しいからです。そしてそのような努力は報われることが多いですね。


自分の人生、自分の日々の生活で無駄な努力をしているか、楽しい努力をしているかと振り返ることは大切かも知れません。人生の時間は限られているのです。自分の思いや概念に固執せず、周りや自分の行動を客観的に見て、自分が正しい努力をしているのか、素直に自分の心に聞いてみるのです。何か根底に嫌な物や納得できないものがあれば、いつまでもそれに固執しない事ですね。


お釈迦様が苦行をやめた時、一緒に苦行をしていた修験者達はみんなで「あいつは脱落者だ。ダメな奴だ」とお釈迦様をさげすみました。そんなことは一向に気にせずにお釈迦様は自分の努力の方向を変えたのです。そしてお釈迦様をさげすんでいた修験者達は一見正しそうに見える苦行の努力の中で朽ち果てて行きましたが、お釈迦様の努力の仕方の方向転換は仏教という大きな花を咲かせたのですね。


一生は短いので意地を張らずにできるだけ正しい努力をしましょうね。「何か違う」と感じたら、よく状況判断をした上で、古いもの、一見権威のありそうなものに固執せず、またそこに安心もせず、努力の仕方を変えるのです。私の仏道修行もそうですよ。お釈迦様のまねをして正しい結果が出るものに変えていきます。


もともと中国から日本に伝わっている大乗仏教はお釈迦様の仏教とはだいぶかけ離れています。できるだけオリジナルに近づけるように、私は坐禅だけではなく、密教も取り入れました。一緒に修行をしている皆さんの日常の変化やお話を聞いていると、客観的に見て正しい結果が出ていると思います。これからが本当に楽しみです。やっぱり心の努力は権威、見てくれ、思い込みよりかは自分の心に問うてみればすぐに分かる結果ですね。


合掌


仏光

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