一日に感謝 | 仏光さんの心の相談室

一日に感謝

摂心と呼ばれる禅の修行期間がこの週末で終わりました。前半は道場に詰めっきりで、後半は朝夕の坐禅と参禅、仕事場へは道場から通いました。朝の修行が終わると、自分の仕事場へ出勤し、夜仕事が終わると道場へ帰る生活です。そして又夜の修行に参加する。前半仕事は休みにしていたので、先週はそのしわ寄せが来て、仕事は超多忙でした。昼ごはんをとる時間も無く、休み無しで仕事をしていました。


道場の生活なので、修行の為睡眠時間も短く、体が持つかなと思いましたが、心配御無用。毎日元気に過ごすことができました。人間というのはトレーニングを毎日積んでいくと心も体も強くなっていくものです。「疲れた」とか「嫌だな」とか全然思いませんね。それよりかこんなに充実した人生の時間が過ごせることに本当に感謝の念が湧いてきました。お陰で昨夜はぐっすり寝ることができました。今日は休日なのに朝五時半には目が覚めてしまい、今日一日ゆっくりと休日を楽しみたいと思います。


昔の私はこのように思った事はありませんでした。仕事はつらいなと思っていたし、休日は何もしないでダラダラ過ごしていたように思います。禅を始めた当初もすぐに自分の一日の生き方が変わったわけではありません。何年もの間に少しづつ変わってきたのでしょう。半世紀以上生きたところでこのように毎日を過ごせる事は、本当に幸せなことです。振り返ってみても自分の人生に今のところ悔い無しです。


毎日、一日に感謝できる心で過ごしたら、一生悔い無しの人生が送れるのですね。私は前から一日の過ごし方を、自分がその一日にできる事は一生懸命する。その日会う人は誰でも大事にするということを言ってきました。これを実行していくとこのように一日を感謝の念で過ごすことができるのですね。これは私だけではなく、誰にでもやろうと思えばできることです。充分できなかってもこのことを忘れずにこつこつ毎日過ごしているといつの間にか結構充実した一日を過ごしている自分に気づくことができますよ。


何も心がけずに、一足飛びにそのような人生を手に入れたいと思ってもそれは無理です。仕事はしないけど金だけ欲しいといっているようなものです。修行は嫌いだけど悟りだけ欲しいと言っても、一生を台無しにするだけで悟りのさの字も手に入れることはできないでしょう。


人生を充実させるのに時間は関係ありません。いつからでも充実させることができます。別に70歳、80歳からでも心を入れ替えて一日一日を感謝できるように過ごしていくとその人の人生は結局は幸せな人生になるのです。要するに最後はどの様な気持ちで終われるかが人生の勝負でしょうね。死ぬ一日前に幸せになれば、その人の人生は途中何があったとしても幸せな人生なのです。だからいつからでも遅くは無いのです。心の奥底から気づくことができればその瞬間から幸せです。


今自分は不幸せだと思っている人は決して諦めないで下さいね。死ぬ前の日まで一日、一日チャンスはみんなに公平に与えられていますから、いつからでも幸せになるよう少し自分の生活を変えればいいのです。人生死ぬ前の日までが勝負です。死ぬ日はいいのです。どうせ死にますから。だから死ぬ前の日までが勝負です。問題は誰も自分がいつ死ぬかが分かっていないことです。だから今日が死ぬ前の日かもしれません。


そうなるとやはり私も気を引き締めて毎日「自分がその日できる事は一生懸命する。その日会う人は誰でも大事にする。」を実践するしかないのです。結局、自分がいつ死ぬかは分かっていないので、今日が私の人生最後の日となるかもしれませんから。


合掌


仏光

人気ブログランキング参加中。クリックをお願いします↓

禅僧 仏光さんの心の相談室-バナーブログランキング


ブログ村ランキング参加中。こちらもクリックをお願いします↓

禅僧 仏光さんの心の相談室-バナーブログ村