ようやく長年患っている

変形性股関節炎の手術を受けようと思っております。
 
 
 
これまでのこと、手術前後のことを
書いていこうと思います。
 
 
 
 
チューリップ赤        チューリップ赤        チューリップ赤        チューリップ赤        チューリップ赤        チューリップ赤       チューリップ赤
 
 
生まれてからこれまでのことを
何回かに分けて書いています。
 
その2 (この記事)
 
。。。
 
留学の機会を得て、
日本からドイツに生活拠点を変えることにしました。
 
 
 
 
 
ドイツは散歩大国
 
 
ドイツにいると、
とにかくよく散歩します。
 
 
 
 
冷たい風にあたって
気分転換もドイツ人は大好き!
 
 
「新しい風を入れよう」といって、
授業の休みには
冬でも窓が開け放たれますアセアセ
 
 
 
 
 
 
 
 
ドイツ滞在中は 
 
デコボコ石畳も
公園も
川沿いも
古城への山も
 
本当によく歩きました!
 
 
 
 
石畳がね
とにかく硬いんですよ。
すると関節にもダメージが来ますアセアセ
 
 
脚の筋肉的にはデコボコ道を歩くことは、
毎回 微妙にちがう筋肉を使うことになるので
きっとメリットもあったのかなと思うんですけれどね。
 
 
そうこうするうちに、
石畳の道での歩き方にも慣れてきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
ドイツ滞在時には
 
旅行もたくさん行き よく歩いたし、
 
列車での長距離移動もよくしたし、
 
重い楽器もいつも持ち運びしてたし、
 
学校が4階まで階段だったし、
 
 
 
と、
まあまあ酷使はしていたので
ちょっとずつ摩耗はしていきました。。ぐすん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、
ドイツでの最後の2年は滞在許可証問題もあり、
思い切って2年だけ
今までとは違うキャリアに方向転換。
 
 
 
楽器も吹きながらも
空港勤務の生活となります。
 
 
 
なんたって外国人労働者ですからね。
 
当時はブラックなみの勤務だった。
いずこも同じか、、
 
 
 
 
 
 
 
そして空港の 
すばらしく 硬い 石の通路
脚へのダメージがマックス滝汗
 
 
 
これで一気に悪化することになります・・・
 
 
 
1日のうちに何度か移動
 
空港はとにかく広いんですよ。
 
 
 
 
 
 
なんせ毎日、
痛さを紛らわせるために
脚の付け根を横からドンドン叩いていましたぐすん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
渡独して7年目のこと。
 
これがあり、
2年間勤務したあと
思い切って帰国を決めました。
 
 
 
 
 
と!
 
帰国を決めた同じタイミングで
なんと
グリーンカード(永久ビザ)の申請が
可能になりました!
 
 
ここは考えは変わりませんでしたが
やっぱりちょっと残念でしたね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チューリップ赤ドイツ時代に取り入れていたことチューリップ赤
 
 
 
 
これまでのこと1にも書いたストレッチの延長。
 
宝石紫ヨガ
 
これはドイツにわたって2年目に
ヨガの先生と知り合ってから取り組み。
 
 
 
 
 
 
たまたま縁があり知り合った人から
宝石紫レイキのアチューンメントを受けた
(レイキヒーリング)
 
 
日本人から受けたんだけど、
住んでいるエリアから近いところでも
交流会に参加していた時期もあります。
 
 
 
 
 
 
整体やカイロプラクティックは
ドイツ人は肩も凝らないのか?
あまり看板も見なかったですね。
 
ドイツ人、姿勢がいいですから。
 
 
思い出せばわたしも当時は
姿勢も良かったんですよね。
(たまに思い出して姿勢を急に正したり汗
 
 
 
 
 
ほかには
 
宝石紫バスタブのある家に住んだ
 
これは寒いドイツでは大きかったです。
 
 
アパートではシャワーしかないところが多かったので
築100年近いボロボロの家でしたが、
シェアハウスとして住み込みました。
(これについてはまた書きます)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ドイツ人の友達の持っていた本で
「指圧」なんて本もありましたが、
 
当時はもう ヒーリングとか
日本のもの(コンブチャとか)も
流行っていた頃でもありました。
 
 
 
余談ですが「アレキサンダーテクニック」も
当時、音大(ホッホシューレ)では
単位に入っているところも出だした頃でした。
 
私はあまり合わないなぁと思ったので
半年くらいでやめちゃいましたが。
 
 
「フェルデンクライス」もよくわからなかった。
 
 
 
この頃は1年に1度か、2年に1度の頻度で帰国。
 
そのたびにカイロプラクティックは行っていました。
 
 
なんだかんだありましたが
まだその程度のフォローで済んでいた頃です。